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ご無沙汰しております

大変ご無沙汰しております。

最近noteを始めて、
そちらに少しずつ投稿していました。
何を思ったか「たからとみこ」
という名前にしてしまいました。
宝が富むっていいなと思って、
この名前にしました。
その後に、息子が好きだった
おもちゃの会社タカラトミーに
潜在的に影響されたのかも、
と気づいたけど。
でも基本は私はお金がなくても
主によってリッチなのだ、
という信仰を表したつもりです。
今までこのブログに書いてきたことは、
だいぶプライバシーを
オープンにしている部分もあるので、
徐々に、多少加筆しながら、
noteに移していき、
プライベートな部分が多い内容は、
有料化しようかなと考えています。
100円とかですけどね。

このブログは父も読者だったので、
けっこう父の存在は
書くときに意識していました。
でもそんな意識から少し自由になって、
noteに日々のことや考えに加え、
過去に経験したことなども
書いていければと思っています。

こちらにもたまに顔を出しますが、
後々はnoteに完全引っ越しして、
こちらは閉鎖しようかなと思っております。
noteに移した記事は、
こちらでは非公開にしていきます。

ご理解のほど、よろしくお願いします。


私のnoteのページは

です。


# by martha2nd | 2021-04-28 16:34 | このブログについて
父が亡くなって50日近く経ちました。
今日は48日か49日目。計算が苦手。
仏教で言う49日ごろにあたりますね。
放置してたブログを書いてみよう、と言う気になるというのも、やはり49日という仏教が定めた数字にも何か意味があるのかもしれません。

父はほんの2週間くらいですが、訪問看護を受けていました。訪問看護ステーションの方にお礼の葉書を出したら、お返事を封書でいただきました。看護師さんってほんと、素敵な方が多い。
父が亡くなって50日近く経ちました。_a0107924_07590208.jpg
ありがとうございます。

私は、最近先祖調べに熱中してます。父の戸籍から、私の知らない曽祖父の名前などもわかってきて。でも昔のことだし田舎のことだから、調べると言ってもなかなか手立てがありません。。国会図書館オンラインなどで、郷土史の本を読んだり、その程度です。

明治大正から昭和初期、数奇な運命を辿った人がたくさんいたんだなあと思います。父も生まれは恵まれた家庭などではありませんでした。でも逆境に負けず、しっかり生きて来たなあと、今更ですが、父をリスペクトします。

私のルーツは丹波篠山と岩国です。そのなかでも山奥の集落。猟師や鍛冶屋だった可能性が出て来ました。ワイルド〜!

江戸や明治のころの、山奥での暮らしは、どんなに大変だったかと思います。そんな中でも結婚相手を見つけて、何人も子供産んで育てて、って、昔の人はバイタリティがすごい。そんな先祖の血を引くことを誇りとして、私も頑張らないとなあと思います。


# by martha2nd | 2021-02-09 07:53 | 実家関連(熊本、福島)
12/22,父が天に帰っていきました。

バイタルが安定してたら、その日の午後、一旦東京に戻ろうかなと思いながら午前中の面会に行くと、昨日より衰弱し、意思疎通も難しい状態でした。ほとんど眠っている状態でした。朝方に痛みを訴えたので、麻薬の座薬を使ったとのことでした。

四肢にもチアノーゼが出ていて、死が近い可能性が高いようなことを看護師さんに言われました。

昼過ぎ、麻薬が切れてきたのか、父が腕を上に伸ばすような感じでバタつかせることがありました。手を握ってほしいのかなと、手を握ってみますが、振り解かれることもありました。看護師さんは付随的な動きだろうとおっしゃいました。苦痛があるのかもしれないから、また座薬を使いますか?でも使うと呼吸が止まることもあります、と言われました。少し考えますと言い、一旦家に帰っていた父の連れ合いの方に電話し、父が苦しそうだからまた病院に来て、と言いました。

彼女が到着してしばらくして、父は少し呼吸が苦しそうに見えました。サチュレーションが90を切っていました。酸素マスクをしてもらい、少し安定しましたが、腕の動きはしなくなりました。私とお連れ合いは、それぞれ父の手を握って、「ありがとう」とか「一緒にいろんなことしたもんねぇ」とか声をかけ続けました。苦しそうな表情でもないし、もがくような腕のバタつきも無くなったので、座薬は使わないでくださいと看護師さんに伝えました。

紫色だった手足の先が、だんだん白っぽくなってきて、血液が届いてないのがわかりました。

下顎が呼吸のたびに動いていました。弱った金魚が口をパクパクしながら不安定に泳いでいる時のような感じです。母の死の数時間前がこんな感じでしたから、父もあと数時間だろうと思いました。

病院の社会福祉士さんやケアマネさんも次々に訪ねてくださり、父に声をかけてくださいました。私たち家族や教会の人たちが作った父の洗礼のお祝いの色紙を見て感銘を受けました、とも。

父はしばらくは、目や首を動かして私とお連れ合いを交互に見たりしていましたが、そういった動きもなくなり、下顎が動くのと、それに付随して喉仏が動くだけでした。酸素マスクが吐いた息で曇っていましたが、曇らなくなってきました。息をしているような動きでしたが、実際はほとんど空気を吸い込んだり出したりしなくなっていたと思います。

身体はこれまでの惰性でかすかに呼吸らしき動きをしようとしていましたが、もうそこには魂はないような目と表情でした。身体の死の前に魂が抜けることがあるのかもしれない、と思わされました。

下顎と喉仏だけの動きがなくなって、私はナースステーションに走り、「呼吸が止まったみたいなので死亡確認お願いします」と言い、部屋に戻ると、父の喉仏がゆっくり動きました。「お父さんは強いからそんな簡単には死なないよね!」と声をかけました。その後、数回喉仏が動いて、完全に止まりました。17:09でした。ドクターが到着して死亡を宣言したのは17:16でした。

今日は父の葬儀です。クリスマスイブに葬儀となってしまいました。牧師さんや奏楽者さん、一年で一番忙しい日に葬儀まで重なってごめんなさい。でも、これから先のクリスマスイブ、私には今までよりさらに特別な日となるでしょう。


# by martha2nd | 2020-12-23 23:05 | 神・キリスト・聖書・十字架

父の備忘録2

2020/12/21、もし父の容態が安定しているなら、一旦東京に帰ろうと思っていましたが、午前中訪ねてみると、お風呂の後だったこともあって、かなりぐったりしてました。

「もう終わり。牧師さんを呼んで」と息のような、声にならない音で言いました。月曜はだいたい牧師や教会はお休みが多いですが、なんとか連絡を取り、来ていただきました。

父はその間、痛みを訴え、「さよならしたい」「痛い腰を取って」などと言い、麻薬の量が増えたので、痛みは緩和されましたが、深く眠ってしまいました。牧師が到着した時もなかなか目覚めず、1時間くらい待ってくださって、少し父の反応があったときに、牧師は、ヨハネの福音書14章を読み、讃美歌「いつくしみふかき」を歌い、祈ってくださいました。感謝でした。

少し時間を戻しますが、父が眠る前、父がサヨナラしたいと言ってた時と思いますが、私は、「きついね、さよならしたいね、準備ができたら、天から迎えがくるからね。向こうにはお母さんもいるね。ファニーもいるよ。私たちもあとで行くよ。また集まろうね」と言うと、天を指さしては手を合わせていました。一度は連れ合いの方の方を向いて上を指差し、手を合わせました。私には、「あなたも、同じところにおいで」と伝道しているように見えました。

そんなこんなで、夕方まで病院にいたので、東京には帰れませんでした。私たち家族の面会も特別に許可をもらってますが、牧師の面会も許可してくださった病院の寛容な対応に、感謝します。

父は、麻薬が増えたので、呼吸や心拍が落ちる可能性が高く、夕方から、モニターをつけて、ナースステーションで常時、心拍などの監視をすることになったようです。緊急の電話番号も確認されました。明日か明後日くらいかもしれません。東京に帰るタイミングが非常に悩ましいです。東京でやらなきゃいけないことも山積みなのです。涙。

# by martha2nd | 2020-12-22 04:29 | 神・キリスト・聖書・十字架

父についての備忘録です

父についての備忘録です

父はあと数日くらいの命と思われます。
昨日また熊本に来ました。1週間ぶりくらいに父に会うと、こんなに痩せても生きられるんだというくらいに、痩せていました。

身の置き所がない衰弱と苦しさの中、頭はしっかりしているので、余計にかわいそうです。私は1日も早く神様のもとにいけるように祈り始めています。でも命のことは神様が決めることですね。

今日は日曜日。午前中、礼拝の代わりに父の面会に行きました。聞き取りにくい声でしたが、父は「しっかりしたい」と言いました。そして私の名前を読んで私の手を握って「しっかりしとる」と言いました。「うん、私はしっかりしとるから(本当はしっかりしてないけど)、安心して。全部任せて」と言いました。父は頷きました。

そして、手や足をさすりながら、「きよしこのよる」と「いつくしみふかき」をハミングすると、父が「簡単な礼拝」と言いました。そうよ、お父さん、今本当は礼拝の時間なのよ。みんなが礼拝してるの見える?って聞くと、うん、とうなずきました。

父は半分夢を見ていたのかもしれません。でも、その後、自分の預金通帳の残高の話とか、結構しっかり頭も使ってました。

私は、母が亡くなる時、「がんばってね」と言われ、今回瀕死の父には「しっかりしとる」と言われました。なんかよくわかんないけど、しっかりしなきゃね。しっかり生きないと。頑張ります。

# by martha2nd | 2020-12-20 15:22 | 実家関連(熊本、福島)

クリスチャン。在宅翻訳やってます。夫と文鳥との生活に奇跡的な誕生をした息子も加わり奮闘しています。


by martha2nd