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広島より

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昨日今日とスピリチュアルケアの研究会で、広島に来ています。もう帰りの空港に向かうところですが。

様々な研究発表がありましたが、広島ということもあり、被爆者の方の講演もありました。

被爆者の生の声を聞いたのは、初めてでした。彼女のご主人は市長の平和宣言の構想を練り、通訳をするという仕事をしていたそうですが、仕事中に脳内出血となり帰らぬ人となったそうです。彼女から、あなたがいたら洗濯機も何も要らないと言ってプロポーズしたくらいに大好きなご主人だっただけに、その突然の死を信じることができず、骨壷をテレビの横において、その骨を毎晩確認しないと、死んだことが信じられないという毎日だったそうです。悲しみを乗り越えるのに何ヶ月もかかったそうです。

その悲しみを乗り越え、ご主人と同じようにノーモアヒロシマを訴えて行くことを、海外の友人から説得されて、語り継ぐことを始められたそうです。

今では、被爆体験とご主人を亡くした悲しみは、ご自分の宝物だと仰っていました。私にとっても、母を見送った経験と子供を死産しかけた経験は、スピリチュアルケアへと導いてくれた宝物といえるのかもしれません。

彼女は被曝した時八歳。幸運が重なり、幸い家族は軽傷で済んだそうです。お父様は、軽傷で済んだ貴重な男手として、近所の集落の700人ほどの人たちを荼毘にふしたのだそうです。

近所の神社の階段には皮膚が剥がれて垂れ下がったような幽霊のような人たちが、何も物を言わず、ただ歩いていて、誰かが水をくださいと言ったら、次々に水をという声がして、彼女は井戸まで水を汲みに行って、その人たちに水を飲ませたら、何人かが息絶えた。彼女は自分が水をあげたせいじゃないかと、このことを何十年も誰にも言えないで苦しんだけれど、後にアメリカ人の友人にやっと打ち明けることができたときに、すっと楽になったそうです。人は心に抱えているものを、誰かに打ち明けるときに楽になるのですね。

さて、広島は川が多い町。川には被曝した人や流れてきた馬などの動物がたくさん浮かんでいたそうです。海が近いので、川も水の満ち引きがあり、一度海に運ばれた死体が、次の満ち潮で川にもどってきたときには、原型をとどめていない。真夏ですし、腐敗も早く、道端の怪我人や死体にもどんどんウジがわいたそうです。

想像を絶しますね。

一見怪我をしてないような人も、放射能を浴びているので突然亡くなる人もいたそうです。

しかし被爆者は被曝したことを口にしなくなっていった。みんな大変なのは同じ、というような感じだったそうです。それはすごく日本人ぽいなと思いました。そして、後々には、差別を恐れて口を閉ざしていったそうです。今でも、被爆体験を語れないお年寄りがたくさんいるそうですが、老人ホームに中学生が行って、話して話してと言って、重い口を開いた老人たちは心が軽くなって、顔が明るくなったのだそうです。

いくつか、広島の写真を載せました。川に水の満ち引きがあるのを今まで知りませんでしたが、今日この目で見ました。同じ場所から撮ったものではありませんが、川の水の量に、朝と夕方でかなり差がありました。

お話くださった方は、自分には語り継ぐ責任がある、そして聞いた人にも伝える責任があると仰ったので、ここでは十分伝え切れてませんが、まず第一弾として、お伝えいたしました。

どうかもう、恐ろしい戦争が2度とありませんように。
by martha2nd | 2014-06-15 16:55

クリスチャン。在宅翻訳やってます。夫と文鳥との生活に奇跡的な誕生をした息子も加わり奮闘しています。


by martha2nd