私の場合
2008年 06月 17日
以前にも記事にしたことのある、不妊治療がうまくいかなくなってしまった友達。
今教会に私を含めて妊婦2名になり、きっと彼女の周囲でもほかに妊娠した人がいたりして、かなり苦しいのだと思う。人と会いたくないみたい。
昨日、最近教会で見かけない彼女を気にして、他の友人が彼女にメールしてみたら、かなり参っているみたいで、私から以前に受け取ったメールにも、親切心からとはわかるのだけど、返事をしようとすると攻撃的な内容になってしまうので、返事をしないほうが無難だと思ってしていない、とメールの返信に書いてあったらしい。
「周りはどんどん身ごもっていくのに、私には子どもを与えてくれないなんて神様は不公平だ」と思ってしまって苦しいらしい。
一度元気になったようにも見えたのだけど、あれも「無理に元気ぶっていたので、今反動がきてしまった」とのこと。
優しくて真面目な人なので、周りで妊娠した人のことを祝福するのがあるべき姿だと思って、私のことなんかも自分のことのように嬉しいとか言っていたけど、自分に嘘つくことはなかったのに。無理して私にお祝いのプレゼントとかくれなくてもよかったのに。でもそうすることが、彼女自身にとって、自分は他人をねたんでなんかいない、ということを彼女自身に証明する行為だったのかもしれない。
私は、結婚前に子どもをたくさん立派にしつけて育てている夫婦を見て、私も結婚して子どもができたら、ああやって一貫性のあるしつけをして聞き分けのいい子に育てたい、と強く思っていて、子どもはかわいいから、とか、そんな動機じゃなく、「しつけたい」という気持ちから子どもがほしくてたまらない時期があった。どうも動機が間違ってたなあと今になって思うけど(笑)、とにかく子どもが欲しくてたまらない気持ちは、分かるつもり。
どうしても欲しいという気持ちから自由になるのは難しいものですよね。
私は幸い、しばらくすると「子どもがいることも、子どもがいないことも、神様からの恵みなんだ」と気づき、自分に子どもがいないことは、神様が私を愛してくれているから、私にはこの恵みを与えてくれているんだと、感謝できるようになったし、子どもがいなかったおかげで、母の看病ができ、看取ることができた。
彼女もどうか恵みに気づいて欲しいな。本当に恵まれた人なのに。
不妊治療はお金も体力も時間もかかるし、それをかければ必ず成功するものではないのだから。自分の努力で変えられることと変えられないことを見極めて、変えられないことは潔く受け入れる勇気も必要なんだと思う。こんなこと、私から直接言われたら、ますますむかつくと思うので、そっとそっと見守るしかないけど、もう彼女にあまり気を遣うのもやめようと思う。だってもうお腹も出てきちゃったし、私がどんなに妊婦オーラを制御しようとしても、彼女にしてみれば、お腹を見るだけで「幸せそう」と思えるのだろうし。私がどんなに慰めても嫌味に聞こえるだろうし。苦しむだけ苦しんで、自分で立ち直っていくしかないところに、今彼女はいるのだと思う。
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今教会に私を含めて妊婦2名になり、きっと彼女の周囲でもほかに妊娠した人がいたりして、かなり苦しいのだと思う。人と会いたくないみたい。
昨日、最近教会で見かけない彼女を気にして、他の友人が彼女にメールしてみたら、かなり参っているみたいで、私から以前に受け取ったメールにも、親切心からとはわかるのだけど、返事をしようとすると攻撃的な内容になってしまうので、返事をしないほうが無難だと思ってしていない、とメールの返信に書いてあったらしい。
「周りはどんどん身ごもっていくのに、私には子どもを与えてくれないなんて神様は不公平だ」と思ってしまって苦しいらしい。
一度元気になったようにも見えたのだけど、あれも「無理に元気ぶっていたので、今反動がきてしまった」とのこと。
優しくて真面目な人なので、周りで妊娠した人のことを祝福するのがあるべき姿だと思って、私のことなんかも自分のことのように嬉しいとか言っていたけど、自分に嘘つくことはなかったのに。無理して私にお祝いのプレゼントとかくれなくてもよかったのに。でもそうすることが、彼女自身にとって、自分は他人をねたんでなんかいない、ということを彼女自身に証明する行為だったのかもしれない。
私は、結婚前に子どもをたくさん立派にしつけて育てている夫婦を見て、私も結婚して子どもができたら、ああやって一貫性のあるしつけをして聞き分けのいい子に育てたい、と強く思っていて、子どもはかわいいから、とか、そんな動機じゃなく、「しつけたい」という気持ちから子どもがほしくてたまらない時期があった。どうも動機が間違ってたなあと今になって思うけど(笑)、とにかく子どもが欲しくてたまらない気持ちは、分かるつもり。
どうしても欲しいという気持ちから自由になるのは難しいものですよね。
私は幸い、しばらくすると「子どもがいることも、子どもがいないことも、神様からの恵みなんだ」と気づき、自分に子どもがいないことは、神様が私を愛してくれているから、私にはこの恵みを与えてくれているんだと、感謝できるようになったし、子どもがいなかったおかげで、母の看病ができ、看取ることができた。
彼女もどうか恵みに気づいて欲しいな。本当に恵まれた人なのに。
不妊治療はお金も体力も時間もかかるし、それをかければ必ず成功するものではないのだから。自分の努力で変えられることと変えられないことを見極めて、変えられないことは潔く受け入れる勇気も必要なんだと思う。こんなこと、私から直接言われたら、ますますむかつくと思うので、そっとそっと見守るしかないけど、もう彼女にあまり気を遣うのもやめようと思う。だってもうお腹も出てきちゃったし、私がどんなに妊婦オーラを制御しようとしても、彼女にしてみれば、お腹を見るだけで「幸せそう」と思えるのだろうし。私がどんなに慰めても嫌味に聞こえるだろうし。苦しむだけ苦しんで、自分で立ち直っていくしかないところに、今彼女はいるのだと思う。
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by martha2nd
| 2008-06-17 09:37
| pregnancy