思い出の場所へ
2008年 11月 14日
記事にするのが遅くなりましたが、19日水曜、転院前に約2ヶ月入院していた病院を訪ねました。そこの病衣を着たまま転院したので、それから2ヶ月以上経ってしまいましたが、お返しに行ったのです。
でもそれ以上に大きな理由がありました。この病院のチャプレンとお会いしたかったのです。7月、8月の記事を見ていただくと分かると思いますが、このチャプレンのお祈りと励ましは、私たち夫婦が試練の2ヶ月を通り過ぎるために、大きな支えとなりました。
チャプレンには証の誕生と成長の様子をときどきメールでお知らせしていました。
私の転院の日、すぐに病室にかけつけてくださって、私のお腹に手をおいて祈ってくださいました。聖書から、イエスさまが病人に「わたしの心だ、きよくなれ」とおっしゃって癒されたところを読んでくださいました。「きよくなれ」とイエスさまは誰に対しても思ってくださっている。お腹の赤ちゃんにも、同じように思ってくださっている、とチャプレンはおっしゃいました。
そのチャプレンと久しぶりにお会いできて、ばたばたと十分にお礼を言えずに転院したので、改めてお礼を伝えることができてよかったです。
チャプレンは産科病棟のスタッフに証が生きて生まれたこと、大きくなっていることを、私がメールで送った写真を印刷して伝えてくれていました。
私が病衣を産科に返しに行くのにもついて来て下さいました。「産科のスタッフが喜ぶ顔が見たいの」と言って。産科に行くと、看護師長がちょうど勤務している時間で、師長に直接お礼を言うことができました。師長は、私が入院したときからとても良くしてくださって、最初にチャプレンと面談する場を設定してくださったのも師長でした。私が思い切り泣けるように、空いていた個室を1時間ほど面談の場所に使わせてくださいました。転院のときにも、夫に「祈っています」と言われたそうです。
2ヶ月ぶりに訪れた私の顔を見ると、師長は嬉しそうにナースステーションから出てきてくださって、証の成長もとても喜んでくださいました。ほかにも数人いたナースたちが「よかった、よかった」と喜んでくれました。私に中絶を勧めたり、赤ちゃんは助からないと何度も言ったり、転院先は見つからないだろうと言っていた主治医とは会えなかったのですが、証のことは伝わっていて、「すごいね~!」ってとても喜んでくださったのだそうです。
この主治医も、入院前に診察してくれた周産期専門のK大の医師も、冷たいことを淡々と私たちに言っていたけど、私たちを傷つけようとしていたのではないことを私たちは分かっています。これから起こりうる悲劇に私たちがびっくりしないように、一時的な気休めになるようなことを言うのではなく、過去のデータに基づいて、言いにくいことを正直に勇気を持って言ってくださったのだと思っています。
その場に居合わせた産科スタッフで、私が一番気に入っていた看護助手さんがいらっしゃいました。髪を洗ってもらったり、身体を拭いてもらったりしていましたが、この看護助手さんにやってもらうのが一番好きでした。この人も、私のところに近づいてきて、「ほんとによかった」と目に涙をためておっしゃいました。「お祈りの力ですよ!」と。すると師長も、「ほんとに、お祈りの力ですね!」って言われました。
この病院はキリスト教系なので、クリスチャンもクリスチャンでないスタッフも、仕事の節目節目にお祈りをするのだそうです。手術の前には、前述の主治医もスタッフといっしょにお祈りをするそうです。どんなに緊急の手術でも、祈りは省かないそうです。
ほとんど突然訪ねたのに、特にお礼を伝えたかった師長と、お気に入りだった看護助手の方に再会できたことも、神様のおとりはからいと思います。
最近は証君の状態がとても安定しているので、どんなに深い谷から救い上げられて今証君が生きているのかということを忘れがちになるのですが、この日、転院前の病院を訪ねて、スタッフの方々の感激の様子を見て、今回の奇跡の大きさを再び思い起こすことができました。ナースたちは、私の入院中、私の状態や赤ちゃんの行く末に触れることなく、淡々と胎児の心音のチェックをしたり、私の体温や血圧を測ったりしていただけだったので、私の状況など知っていてもただルーチンワークをこなすだけの冷たい人たちなんだなと思っていたのですが、本当は心の中でとても心配してくださっていたことがわかり、私の心に大きな感謝の気持ちが湧きあがりました。
チャプレンに証君の足のことを伝えました。すると、「では、頭が下だったら、もっと大変なことになっていたかもしれないわね」と言われて、本当にそうだなと思いました。変形したのが足首でまだよかったのかもしれない、頭が下だったら、頭の形や顔が変形していたかもしれません。このことについても、神様のご計画に畏怖を感じました。
久しぶりに歩いた病院までの商店街もとてもなつかしかったです。
この病院での2ヶ月は辛くて悲しいものではなく、夫との関係を深められ、お腹の子どもへの愛情を確認でき、友人たちとの友情を深め、見ず知らずの方とブログを通してお知り合いになり、そして何よりも私たちの命の源である神様との関係を深められた、意義深い、喜びに満ちた期間でした。
でもそれ以上に大きな理由がありました。この病院のチャプレンとお会いしたかったのです。7月、8月の記事を見ていただくと分かると思いますが、このチャプレンのお祈りと励ましは、私たち夫婦が試練の2ヶ月を通り過ぎるために、大きな支えとなりました。
チャプレンには証の誕生と成長の様子をときどきメールでお知らせしていました。
私の転院の日、すぐに病室にかけつけてくださって、私のお腹に手をおいて祈ってくださいました。聖書から、イエスさまが病人に「わたしの心だ、きよくなれ」とおっしゃって癒されたところを読んでくださいました。「きよくなれ」とイエスさまは誰に対しても思ってくださっている。お腹の赤ちゃんにも、同じように思ってくださっている、とチャプレンはおっしゃいました。
そのチャプレンと久しぶりにお会いできて、ばたばたと十分にお礼を言えずに転院したので、改めてお礼を伝えることができてよかったです。
チャプレンは産科病棟のスタッフに証が生きて生まれたこと、大きくなっていることを、私がメールで送った写真を印刷して伝えてくれていました。
私が病衣を産科に返しに行くのにもついて来て下さいました。「産科のスタッフが喜ぶ顔が見たいの」と言って。産科に行くと、看護師長がちょうど勤務している時間で、師長に直接お礼を言うことができました。師長は、私が入院したときからとても良くしてくださって、最初にチャプレンと面談する場を設定してくださったのも師長でした。私が思い切り泣けるように、空いていた個室を1時間ほど面談の場所に使わせてくださいました。転院のときにも、夫に「祈っています」と言われたそうです。
2ヶ月ぶりに訪れた私の顔を見ると、師長は嬉しそうにナースステーションから出てきてくださって、証の成長もとても喜んでくださいました。ほかにも数人いたナースたちが「よかった、よかった」と喜んでくれました。私に中絶を勧めたり、赤ちゃんは助からないと何度も言ったり、転院先は見つからないだろうと言っていた主治医とは会えなかったのですが、証のことは伝わっていて、「すごいね~!」ってとても喜んでくださったのだそうです。
この主治医も、入院前に診察してくれた周産期専門のK大の医師も、冷たいことを淡々と私たちに言っていたけど、私たちを傷つけようとしていたのではないことを私たちは分かっています。これから起こりうる悲劇に私たちがびっくりしないように、一時的な気休めになるようなことを言うのではなく、過去のデータに基づいて、言いにくいことを正直に勇気を持って言ってくださったのだと思っています。
その場に居合わせた産科スタッフで、私が一番気に入っていた看護助手さんがいらっしゃいました。髪を洗ってもらったり、身体を拭いてもらったりしていましたが、この看護助手さんにやってもらうのが一番好きでした。この人も、私のところに近づいてきて、「ほんとによかった」と目に涙をためておっしゃいました。「お祈りの力ですよ!」と。すると師長も、「ほんとに、お祈りの力ですね!」って言われました。
この病院はキリスト教系なので、クリスチャンもクリスチャンでないスタッフも、仕事の節目節目にお祈りをするのだそうです。手術の前には、前述の主治医もスタッフといっしょにお祈りをするそうです。どんなに緊急の手術でも、祈りは省かないそうです。
ほとんど突然訪ねたのに、特にお礼を伝えたかった師長と、お気に入りだった看護助手の方に再会できたことも、神様のおとりはからいと思います。
最近は証君の状態がとても安定しているので、どんなに深い谷から救い上げられて今証君が生きているのかということを忘れがちになるのですが、この日、転院前の病院を訪ねて、スタッフの方々の感激の様子を見て、今回の奇跡の大きさを再び思い起こすことができました。ナースたちは、私の入院中、私の状態や赤ちゃんの行く末に触れることなく、淡々と胎児の心音のチェックをしたり、私の体温や血圧を測ったりしていただけだったので、私の状況など知っていてもただルーチンワークをこなすだけの冷たい人たちなんだなと思っていたのですが、本当は心の中でとても心配してくださっていたことがわかり、私の心に大きな感謝の気持ちが湧きあがりました。
チャプレンに証君の足のことを伝えました。すると、「では、頭が下だったら、もっと大変なことになっていたかもしれないわね」と言われて、本当にそうだなと思いました。変形したのが足首でまだよかったのかもしれない、頭が下だったら、頭の形や顔が変形していたかもしれません。このことについても、神様のご計画に畏怖を感じました。
久しぶりに歩いた病院までの商店街もとてもなつかしかったです。
この病院での2ヶ月は辛くて悲しいものではなく、夫との関係を深められ、お腹の子どもへの愛情を確認でき、友人たちとの友情を深め、見ず知らずの方とブログを通してお知り合いになり、そして何よりも私たちの命の源である神様との関係を深められた、意義深い、喜びに満ちた期間でした。
by martha2nd
| 2008-11-14 19:35
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