ユージン・オニール

私は最近なぜかとても疲れていたんです。
多分育児とか家事とか仕事とかで、時間の管理が下手な私は特に、
上手に休憩がとれなかったのです。
私が疲れているのは夫のせいだと責任転嫁までしてしまいました。
夫は少しでも私の気が晴れるようにと、私が寝ている間に、
ダンボールを一つ空にしてつぶしていました。
夫は本やらCDやらもう読みも聞きもしないものを捨てられない性格で、
私が何年も捨てて欲しいと言っているものが他にもたくさんあるのです。
別に気持ちは晴れなかったですが、箱が一つ消えたことはよかったかもしれません。
私が疲れてイライラしていると、夫もどうやって私の機嫌をなだめればいいか
途方にくれた上に、たいてい家の掃除や片付けを始めます。
なんか違う・・・というのが正直な感想なんですけどね。
結局私は自分のした掃除洗濯料理などについて、
感謝や称賛が欲しいのかもしれません。
でも良く考えたら、感謝や称賛が欲しくてやっているなんて
不純な動機ですよね。
夫や子どもを愛すればこそ喜んでできる行為であるべきなのに。
こんなことを堂々巡りで考えていて、やはりスッキリしないまま、
今朝私はデボーションガイド「クレイ」の今日の箇所を開きました。

「きょうの霊想」というところにアメリカの偉大な劇作家ユージン・オニールが駆け出しのころに書いた
『Lazarus Laughed (ラザロが笑った)』という劇のことが書いてありました。

調べたところ、ユージン・オニールはノーベル文学賞も受賞しているのですね。
この劇を書いたということは、彼が聖書の中にあるラザロの復活を信じていたことは確かです。
ラザロは死んで4日経っていましたが、墓の中からイエスがよみがえらせたのです。

この劇の冒頭で生き返ったラザロを祝福するための宴席の場面があるそうです。

集った人の独りで墓石を転がすのを手伝った男はイエスが死人の中からラザロをよみがえられた時の様子を次のような言葉で回想します。
「よみがえったラザロは、イエスの前にひざまずき、その足に口づけをした。そして2人は微笑み会った。イエスはラザロに『私の兄弟』と声をかけ彼を祝福した後、その場を立ち去った。復活したラザロは神に恋をしている人のように穏やかな声で笑い始めた。あんな笑い声は初めて聞いたよ。おれの耳がワインを飲んだみたいに酔いしれたんだ。おれは恐れのために腰を抜かしていたが、気がつけば自分も笑っていた」

そして「きょうの霊想」は次のようにしめくくってありました。
この劇中で起こっていることは、私たちが天国で体験する大宴会の前味となっている。死からよみがえった私たちは、このラザロのように主イエスと顔を見合わせて微笑みあうことであろう。

ここまで読んで、私は日々が何の達成感もないまま繰り返されることに疲れている自分を肯定できました。私たちの最終的な目標はこの世にはないのに、この世で何を達成しようとしていたのだろう、私たちの希望は天にあるのであって、それまではこの世で寄留者として生きているのではないか!なぜ忘れてしまっていたのでしょう。

私もいつかこのようなイエスとラザロのやり取りに似た経験を天国でするのかと思うと、希望が湧きました。
そしてこのような体験をすでに私の母はしているのかと思うと、もっと嬉しくなりました。
聞いた人の耳が美味しいワインを飲んだみたいに酔いしれるような笑い声ってどんなに平安に満ちたものなのでしょうか。そんな笑い声で天国は満ちているのでしょうね。

私はこのような希望が私たちに与えられていることに感謝し思わず手を組み祈りの姿勢をとりました。すると、おもちゃで遊んでいたEliが「メーン」と言い、ますます大きな喜びに満たされました。

体の疲れは取れないけど、心の疲れはとれました。
とりあえず今日の分くらいは。
忘れっぽいので、このすばらしい希望と約束のことを、私はすぐに忘れて
目の前のことで疲れてしまうのです。
日々、みことばに触れ、イエス様を仰ぎ、天国に思いを馳せることが大切だと、今朝学んだしだいです。
毎日そうできますように。
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by martha2nd | 2009-12-14 16:16 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

クリスチャン。在宅翻訳やってます。夫と文鳥との生活に奇跡的な誕生をした息子も加わり奮闘しています。


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