カテゴリ:神・キリスト・聖書・十字架( 143 )

朝のお祈り

息子の保育園の保育参観などに行くと、
かならず聞ける朝のお祈り。
子供たちが毎日このお祈りで
園の生活を始められたこと感謝です。
守れたかどうかは別として。
大人でも難しい内容です。

卒園して忘れないように最後に保育園でこれを聞いたときにメモしていたのですが、
レシートの裏にメモしたもので(笑)
もうボロボロです。
そういうわけで、ここにも記しておこうと思います。

てんのおとうさま
きれいなあさをありがとうございます
きょうもいちにち、じぶんもうれしく
ひとにもきもちよくできますように
このおいのりを
イエスさまのおなまえによって
おいのりします
アーメン
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by martha2nd | 2015-04-17 14:20 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)

殺意があった場合

川崎の中学一年生が18歳や17歳の少年たちに惨殺されたという事件。
私がよく通る多摩川の河川敷をずっと下って行けば、この事件の現場に着くのでしょう。
近所の中学生を見ていても、1年生といったらまだあどけなく、
体もまだまだ発達途中で、成長を鑑みて作った制服がまだぶかぶかです。
そんな上村君が悪い仲間と付き合うようになってしまったのは本当に残念ですが、
恨みや怒りで人の命を奪うことはゆるされないことだということは未成年でもわかるでしょう。
いや、わからなかったのでしょうか。
18歳といえば、結婚さえしていい年齢ですよね。
学校に行っていなかったようですが、18歳を18歳相応に育てるのは学校の責任ではなく、
親の責任ではないでしょうか。それを親の入れ知恵か何かで黙秘させ、弁護士もいっしょに出頭とは、
ずいぶん甘やかされて育ったのでしょうか。

私は今朝旧約聖書の申命記19章1~7節を読みました。
神様がイスラエルの国に、殺人者が逃れられる地域を作るように命じています。

「殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次の通り。知らずに隣人を殺し、以前からその人を恨んでいなかった場合である」

解説(Clay3月号P16)によると、次のように書いてあります。

「逃れの町の規定は、命の尊さをイスラエルの民に教えるためのものです。いかに過失とはいえ殺人を犯した者は、相当な期間、自由を拘束されました。それによって民は、神の目には人の命が尊いものであることを学んだのです。人は神の作品であり、その命は実に尊いものです」

しかし殺意があった場合には、殺された者の最も近い血縁の男性が、犯人を殺すという規定が続く聖書箇所に書いてあります。

旧約の時代にはこれほどの厳しいルールがあったのですね。

逮捕された少年たちにまだ少年らしい心が残っていることを願います。そして、取り調べの警察の方々も十分知恵を用いて、そのような心を引き出し、それぞれが本当のことを話すように、心の底から悔い改めるように、そして相当の罰を甘んじて受けるように、社会に出てきたときに、二度と間違いを犯さないようにと願います。

しかし、神様を抜きにして、「命の尊さ」だけを教えることは非常に難しいですね。
もし今の科学が主張しているように、宇宙が偶然の産物で、地球もその偶然の一部で、
そこで発生した生命体というものも偶然にできたにすぎず、長い年月を経て、人間に進化してきたとしても、
人間は依然として偶然にできたもので、その命が尊いという根拠を示すことは無理でしょう。
しかし聖書が言うように、人間は神様の作品であり、神様がその一人ひとりを愛してやまないもので、
一つの命も偶然に生まれたものはない、神の意図によって意思によって愛によって生まれた、
という前提があるならば、命がいかに尊いか簡単に説明できると思います。

教育や社会から真面目に「神」について考えることはだいぶ前からなくなりましたから、
このような説明は本当に困難なことだとは思いますが、神という名は忘れられても、
おそらく倫理観や法律などには、神がモーセに与えた「十戒」の影響が、今日に至ってもあの太古の律法が、
生きているのではないかと思います。「殺してはならない」と書いてありますよね。「盗んではならない」も。

神がいるから命が尊いという論理に耳を傾ける人は少ないにしても、
民法や刑法など、子供のころからわかりやすく教える必要があると思う今日このごろです。
こんな罰があるから、人を殺してはいけないよ、ではなくて、人を殺すということは、これくらいの罰に相当するんだよ、なぜなら命は尊いからだよ、というように。
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by martha2nd | 2015-03-02 15:51 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

新しい都

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教会でお墓を購入し、先日の日曜日が奉献式でした。
長らく議論されていた墓地の購入ですが、予算などのめどもつき、購入に至ったというわけです。
これまではいくつかの教会の合同墓地でしたが、この辺に住んでいる人が行くには
とても遠くて辺鄙なところにあったのです。
墓石の周りに敷いてある砂利は、黒か白か五色という選択肢だったようですが、
五色が選ばれました。
私はこれは聖書にある天国の描写を思わせるのでいいなと思います。

私は黙示録が好きですが、ここ数年読んでないような気がするので、
改めて、その天国の描写の箇所を開いてみました。

少し長いですが引用してみましょう。
黙示録21:19~23
都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。
第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三は玉髄、第四は緑玉、
第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、
代休は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。

また十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。
都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
私はこの都の中に神殿を観なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、
小羊とが、都の神殿だからである。

都には、これらを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を寺師、
小羊が都のあかりだからである。
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by martha2nd | 2014-09-30 11:35 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

サシヨリ

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9月8日~14日、熊本の実家にお世話になりました。
というのは、以前にも書きましたが、9-13の5日間、スピリチュアルケアの研修があったからです。
今回私は6回目の研修になります。
今回7回目を迎えた研修生が2人いました。
7回目には人生の振り返りを全研修生と講師たちの前でしなければなりません。
で、2人のうちの1人がこの学びを始めた理由というのが、
ほんの数年前に、信じていた人に騙され、生活の基盤をめちゃくちゃにされて、
死にたいと思っていたときに、この学びにたどり着いたとのことです。
この研修生に、研修先の病院ですでにパストラルケアをお仕事として実践されている方から
「熊本弁にサシヨリという言葉があります。とりあえず、という意味ですが、
人間にはサシヨリ今日を生きる力がある。あなたはサシヨリその日その日を
生きてきて、この学びに出会えた。死ななくてよかったですね」
というお言葉がありました。

私も、そういえば、息子を妊娠して入院しているとき、この先どうなるのだろうと
不安な毎日だったけど、とにかくサシヨリ一日一日を過ごしていたなあ。
先のことを考えると押しつぶされそうになるけど、とにかく余計なことを考えずに
その日その日を生きることが、時には必要なのかもしれませんね。

そういえば、この病院の「人間国宝」とも呼ばれている患者さんと
1対1でお話しする機会がありました。
80代の車椅子のおばあちゃんです。手足が不自由で言葉もはっきり話せません。
頭はしっかりしているようです。
その方が、会話の最後のほうでおっしゃったのが、
「心でよかったあ!と思えば、何でも良いほうに行く。頭でいろいろ考えてもわからん」
という名言。
あまりにも満面の笑顔なので、「幸せですか」と訊いてみたら、
やはりまた満面の笑みで「幸せ」と答えが返ってきました。

サシヨリ、今日を、心で「よかったあ」と思いながら、頭でくよくよ考えることをせずに生きていくことを積み重ねれば、幸せな1か月、幸せな1年、幸せな一生となっていくのかな。。

写真は熊本空港の搭乗口近くの壁に書いてある熊本弁。
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by martha2nd | 2014-09-16 14:34 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)

Merry Christmas

今日はクリスマスイブです。
クリスマスまでの4週間をアドベント(待降節)といって、
わくわくしながら待って過ごすわけです。
アドベントはアドベンチャー(冒険)と同じ語源で、
やはり「ワクワク感」は冒険と同じですね。

クリスマスの挨拶は「メリークリスマス」
クリスチャンになってだいぶ経ちますが、実は先日初めて知ったことがありました。
メリー・クリスマスの「メリー」はアングロサクソン語が語源で、
「どんなに困難なことがあっても乗り越えていけるね」
という意味が元々あるそうです。
だから「メリークリスマス」と軽く言い合う昨今ですが、
「キリストがおられるから困難を乗り越えていけるね。大丈夫だね」という
深い意味があるのだそうです。

「クリスマス」は「クリスト(キリスト)」の「マス=ミサ=礼拝」
つまり、キリストを礼拝する、という意味ですね。

世界で一番初めのクリスマスの日、
キリストを礼拝したのはその両親マリアとヨセフ、羊飼い、東方の博士たち、
そして、馬屋の動物たち。

私も今日、あのときの羊飼いや動物たちと同じ思いで、
キリストを礼拝しに、クリスマスイブのキャンドル礼拝に行く予定です。

イブには少し早いですが、これを読んでくださる皆様、

メリークリスマス!!
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by martha2nd | 2013-12-24 13:06 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

生命線

この夏受けた神学講座はすべてカトリックベースのもので、
私はカトリックの一般の信者が、ほんの50年ほど前まで自由に聖書を読めなかった、
というのをこの夏初めて知りました。
ま、でも、キリスト教の初期から、いや、旧約聖書の時代から、
聖書は預言者とか司祭が解き明かすものであったわけで、
民衆は字も読めなかったし聴いて理解し、生活に適用していたんですよね。
カトリックのミサにも出てみたんですが、思っていたような豪華で派手な儀式的なものではなく、
初代教会はこんな感じだったのかなと思う、シンプルで簡素なものでした。
歌に伴奏もなく、誰からともなく(シスターたちが多いですが)歌い出し、
他の礼拝者も合わせて斉唱するというもの。

さて、聖書を50年前までカトリックでは一般信者は読めなかった、という話を
うちの教会の牧師にしたところ、
「カトリックは組織がしっかりしているからそれでもいいけど、
プロテスタントは信徒が成熟していないといけない。みんなちゃんと聖書通読しているのかなあ。
プロテスタントにとっては聖書通読が生命線でしょ」
と言われたんです。
はい、確かにプロテスタントは「聖書のみ」を主張していますから、
その信仰の土台である聖書を毎日よく読み、調べ、勉強するべきなのです。

私は聖書通読ははっきりいってしてなくて、牧師の言葉にはっとしつつも、
実は今日まで始めていませんでした。
でも今日から心入れ替えて聖書を通読しようと通読表に従って読むことに。
今日の箇所はイザヤ55-58.
私の心にとまったのは、形式だけの断食をしているイスラエルの民に神が言ったことば。
記録として。

イザヤ58章6-8節

わたしの好む断食は、これではないか。
悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、
しいたげられた者たちを自由の身とし、
すべてのくびきを砕くことではないか。
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、
家のない貧しい人々を家に入れ、
裸の人を見て、これに着せ、
あなたの肉親の世話をすることではないか。
そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、
あなたの傷はすみやかにいやされる。
あなたの義はあなたの前に進み、
主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。
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by martha2nd | 2013-09-03 12:17 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)

断腸の思い、初体験

私が学んでいるパストラルケアで、数年ぶりにドイツ研修旅行が今年行われることになったのです。
理事長のドイツ人司祭の心臓の病気などでここのところ開催されていなかったのだと思います。
ドイツのホスピスや病院を10か所ほどまわり、そこの責任者からお話しをうかがえるという、
百聞は一見にしかずの機会。日本では想像できないような、患者を尊重した医療を見て、学ぶだけでなく、
何よりドイツ人司祭にドイツを案内してもらえるという願ってもない機会。
それにこの司祭様はもう80代です。失礼かもしれないけど、最後のチャンスかもしれない。

パンフレットを見て、行きたいなあ、行きたいなあ、という思いはものすごく強かったのですが、
2週間も家を空けるとなると、夫が息子の保育園の送り迎えをするのもかなり負担になるだろうし、
私自身も子供のことが気になって研修に集中できないかもしれない。
私にとって一番望ましいのは子連れでの参加でした。
でも子連れでドイツ研修旅行に参加したいなんて、非常識なことを言うこともはばかられて、
誰にも言わずに5月の段階でぐっと心の中であきらめていたことでした。

ところが、先週この司祭様からパストラルケアを学ぶ人たちに、
研修旅行にもっと多くの参加をよびかけるメールが来て、
私はダメ元で、「旅行時5歳の息子連れでは無理ですよね。。」と
返事を書いてみたんです。すると、
「息子連れでいいと思います」との返事が即届きました。

私は息子の年齢で違う文化を見せておきたいとも思いましたし、
子供ホスピスも回るということで、日本人の5歳の子と、ドイツの小児がんなどの子供たちとの間に
どんな化学反応が起きるか、というのも少し興味がありました。
また、子連れだと他の研修生の迷惑にもなるけど、励みや慰めにもなるかもしれないと思いました。
そういった意味で、司祭もOKしてくれたのだと思うのです。

出発は9月20日で、とうに諦めていましたので、
熊本に帰省する予定などもその時期に入れていて、
本当に行くならばいろいろと予定の調整をしなければならないと思っていました。
旅行会社さんも、子供用の料金の見積もりを出してくださったりしていました。

しかし、夫は2週間一人になるのは寂しいし、子供を連れて行くなら死ぬ気で守ってほしいと、土曜日になって言ってきました。
そして教会の人2人に話す機会があり、相談したら、1人はすごく前向きだったのですが、
もう一人は子供に何かあったらどうするのよ!!と猛反対で、
私はそりゃあ「絶対大丈夫」とは言えない、未来のことはわからないですし、
死ぬ気で守ったって守りきれないこともあるだろうし、そうなったら
「死ぬ気で守ったんだよ」と言っても、信じてもらえないだろうし、
いろいろ考えたら、旅行に行くのがものすごくプレッシャーになってきて、
結局行かないことにしたんです。

理事長にも旅行会社にもまだ「行きます」とは言ってなかったですが、
「やっぱり行かないことにしました」とお返事をして、
その日は涙涙で過ごしました。「断腸の思い」とはまさにこのことだ、と実感しました。
今まで私はやりたいことを諦めたことがなかったように思います。

失恋とか死別とか、そういうこととはまた違う、悲しみの感情、涙、を初体験したのでした。

でも私が慕っている学びの仲間で母と同年代の方が、この旅行に参加されることを知って、
彼女からたくさんお土産話を聞かせていただくお願いを昨日メールでしました。
そうしたら快いお返事。娘さんの出産と重なるので迷っていらっしゃいましたが、
それでもこの旅行を選ばれたのです。
お土産話が楽しみです。
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by martha2nd | 2013-08-28 14:47 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

神学を学ぶ夏

パストラルケア研修の必修科目ということで、これから数年間、この時期に神学を学ぶことになりそうです。

昨日今日も行ってきました。Eliは一昨日から熱を出していましたが、今日やっと下がりました。

神学を学ぶと私が神様をもっと知ることになるわけで、悪魔はいろんな方法で私の神学の学びを阻もうとしました。Eliに熱を出させたり、私が母親としての自信を無くすようにしむけたり、私に学問を学ぶ資格があるのかと自問自答させたり、私はけっこう精神的に安定しているほうですが、母が亡くなった時も祖母が危篤になったときも動揺しなかった私が、この学びが始まる数日前から、精神的にかなり動揺していました。こんなことをするのは悪魔と思います。

ともあれ、悪魔に屈せず、今年の学びは来週の土曜を残すのみとなりました。

パストラルケアの神学講座の案内に次のように書いてあります。

「神学」は、ある特殊な人々のための学問ではありません。
「神」という真理を追究し、見え隠れするその方の覆いを少しずつ取り除いていきます。
そこでは、同時に、道に迷い、つまずき、疲れた「私」あるいは「私たち」の姿も明らかにされていきます。
神学は、すべての人のための学問であり、人生の道標でもあります。

と書いてあり、本当にそうだなあと思いました。
どの科目もとても興味深い内容でした。お昼ごはんのあとの授業はちょっと眠くなることもあったけど^^;

昨日の喜ばしい発見は、宗教という意味の英語religionは、ラテン語のre+ligareが元になっており、再び結ぶ、という意味なのだそうです。日本語においては仏教的な「宗教」という言葉に訳されてしまったようなのですが、本来religion(レリジョン)は、「神から離れた人間が仲介者イエス・」キリストによって再び神とのかかわりを取り戻して結ばれること」という意味で、4世紀にアウグスティヌスがカトリック教会の教えをそのように呼びはじめたようです。

ああ、他にもたくさんたくさんシェアしたいことはあるのですが、情報が膨大すぎてまとめられません。体力と気力と意欲と時間がすべてうまく私を動かしてくれた時に、復習を兼ねてまとめたいと思います。
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by martha2nd | 2013-07-28 21:11 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)
備忘録的に思いつくまま書いておきたいと思います。
先日の日曜日の礼拝のメッセージ、印象に残りました。
魂や生や死に関心のある私だったからでしょうか。
牧師が人体を作っている材料について石鹸7個分の脂肪と下剤一服分のマグネシウムと、、という風に羅列しました。
思い出せないので今調べたのですが、ネットでこのような引用を見つけました。

藤子・F・不二雄SF短編集②「メフィスト惨歌」より
「人体の組織は脂肪・鉄・リン・炭素・石灰・硫黄・マグネシウムに水 時価にして一万円にならないんだよ」


この1万円にも満たない材料でできた私たちの体を生かしているものはやはり魂というものでしょう。
私は以前から不思議でならないのですが、生きている人体(哺乳類や鳥類もそうですが)の温度というものは36~40度くらいで、食べ物をそんな気温のところに出しっぱなしにしていればすぐに腐ってしまうような温度なのに腐ることがなく、死んで体温が下がってから腐敗が始まるというのはどういうことなんでしょうか。
私たちのこの体が腐らずに息をし続け、鼓動を打ち続け、心が悩んだり喜んだりするのは、魂とか霊がここにあるからなのでしょう。

さてカタツムリというのは、私は知らないのですが、カタツムリと蟻が競争する、まるでウサギとカメのパクリのようなお話があるらしいのですが、カタツムリはもちろん競争に負けてしまいますが、その通った道はキラキラと輝いている。ゆっくり丁寧に進めば、進んできた道がキラキラ輝く、というお話のようです。

私は子供の頃「しゃくとりむしのぼうしやさん」という絵本が大好きで、その中に「キラキラ光る怪しい足跡!」という文章があったのです。しゃくとりむしの帽子屋さんから帽子が盗まれて、その犯人を捜すのですが、キラキラ光る怪しい足跡をたどると、カタツムリのように殻がほしかったのか、ナメクジが犯人だったというお話です。しゃくとりむしさんは、ナメクジをかわいそうに思って帽子を作ってあげて一件落着だったと思いますが。。

それで余計に牧師のしたカタツムリの話が印象に残ったのだと思います。

さて私のこの体も、魂があるので今ここで生きています。
この体がこの世での用が済んだとき、魂はこの体を脱ぎ捨ててパーッと天に上るでしょう。
そこで永遠に生きるでしょう。
でも、この世にいる間は、カタツムリやナメクジのように足跡がキラキラ光るような生き方をゆっくりでも着実にしなくてはいけませんね。

当面の私の使命は息子を育てるということでしょうか。
神と人に愛される、強くて大きくて優しい人間に育てることが目標です。
そして彼にもキラキラ光る足跡をこの世に残してほしいと思います。
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by martha2nd | 2013-07-05 15:17 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

God Bless You

昨日は息子がピアノのレッスンもあり、音楽モードでした。
猫の居場所を作るためにガラクタが集まっていたところを整理してスペースを開けたときに出てきたギターを、それ以来目につくところに一応置いていたのですが、弾いてみようということになったのは初めて(笑)
息子は昨晩初めてギターを弾きました。コード抑えているのは夫ですが。。
それにしても初めてにしてはギターの弾き方がセンスあるなあと、親ばかながら思っている私たち夫婦です(笑)
そういうわけで、家族みんなでの初演奏を記念するとともに、
日本のクリスチャンミュージック界でとても有名な岩渕まことさんの「God Bless You」を我が家から皆様に愛をこめて(笑)

皆様に神様の祝福が今日もいつもいつまでもどこにいてもありますように。

なんか上手く埋め込めないので、こちらにジャンプしてください。

クオリティ的にお聞き苦しいかと思います。
岩渕さんはじめクリスチャンアーティストで歌っている素晴らしいバージョンはこちら。聞き惚れてください。
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by martha2nd | 2013-06-27 10:20 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)

クリスチャン。在宅翻訳やってます。夫と文鳥との生活に奇跡的な誕生をした息子も加わり奮闘しています。


by martha2nd