カテゴリ:神・キリスト・聖書・十字架( 143 )

スピリチュアルケアは8科目をとって、必要な課題の提出を終えるとスピリチュアルカウンセラーといって病院などで働く資格となります。
4科目でスピリチュアルケアワーカーとなり、傾聴ボランティアとして認められます。

しかし、実際はWHOが人間は霊的な(=スピリチュアルな)存在と認め、特に死が近い人に対してはスピリチュアルなケアの指針を出していますが、日本では自然科学の医療と精神科学の世界は相いれないので、希にキリスト教系や仏教系の病院で霊的なケアが受けられる以外は、スピリチュアルケアカウンセラーの資格を得ても、仕事としてすることは難しいみたいです。

現時点では。

でもキッペス先生は命をかけて日本におけるスピリチュアルケアの普及に取り組んでいらっしゃいます。

今度鹿児島でスピリチュアルケアの全国大会があるそうです。
是非、行ける方は行ってほしいです。有意義な時間になること間違いなしです。

科目を学べばお金と時間がかかり、現金な私としては、うーん、これだけの投資をしてお金をもらえる仕事に結びつかないのか。。。と、実際この学びをしていくかどうか、躊躇していましたが、科目Iをとってみて、これは本来ならすべての人間が学ぶべき内容だと思い、生きていくうえで非常に大切な学びなので、私はお金と時間がかかり、将来の収入に結びつかないものだとしても、続けて学んでいきたいと思うようになりました。

しかし、将来の収入云々ということよりも、スピリチュアルケアが日本の医療に浸透していくことを強く願い、祈り、また、そのために行動していこうと思っています。

私は今再来週受ける科目IIのために予習をしています。科目Iと重なる部分もあり、引き続き「傾聴」について学んでいます。

教科書から心に残った言葉をいくつかここにメモがてらご紹介いします。

人間は実質的には受け取ることによってのみ存在しており、聴くことはまさに受け取ること。聴くことはがなければ、人はだれも自分の名前さえもわからないだろう。

人間は社会的な役割を果たすことによって自分の存在意義や価値を見いだすが、もしそうなら、人間は取り替え可能な1つの機械にすぎなくなってしまう。人間の存在意義や生きる価値は、社会のために果たした役割によって決定されるべきではない。


私たち一人ひとり、そのときそのときで、その人にしかできない使命が与えられているのですよね。
私が科目Iの授業で印象に残っているのは、死を目前にしたある患者さんが、「看護師さんを笑わせるのが今の私の仕事」と病床でおっしゃったという話。もう治らない病気になり、死がすぐそこにあっても、私たちは何か自分にしかできない役割(使命・仕事)を見つけることができるのですね。
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by martha2nd | 2012-05-22 14:16 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(4)

お賽銭

そういえば、スピリチュアルケアの研修でもう一つ心に残った講師の言葉があります。
それは、日本はご祝儀や香典など、何重にもお金を紙や封筒に包む文化があるのに、
初詣で神社に行き1年間の無病息災を祈るとき、そのときに払うお金はいわば「1年間の保険」ともいえる重要な意味を持つものなのに、裸の小銭をポイッと投げるだけのか、と。
確かにそうですよね。目からうろこでした。外国人だから気づけることですね。
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by martha2nd | 2012-05-16 22:37 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(3)

イエスス

カトリックの方はイエスのことをイエススと呼ばれますね。
スピリチュアルケアの講師を務めてくださったのは、ワルデマール・キッペス神父さまでした。
日本のスピリチュアルケアの先駆者です。直々に教えていただけた経験は、私の宝物です。

カトリックの方はイエスと同等かそれ以上にマリア信仰が強いように勝手に思っていましたが、
キッペス神父の口からはマリアという言葉は一度も出ませんでしたが、
イエススは何度も出ました。
昨日キッペス神父のホームページを見たんです。
スピリチュアルケアに深くかかわっていらっしゃり、スピリチュアルケアの必要性を日本に広めようと命をかけていらっしゃいますが、それよりももっと日本の方々に紹介したいと願っていらっしゃるのが、イエススであることに感動しました。
タイトルもJESUS ONLINE(イエスオンライン)というものです。読まれる日本の方々にわかりやすいように、日本人になじみのある「イエス」を使っているところも感動しました。
その中に、神父さまのイエスさまへの思いが書かれていました。
「あなたの名前 “イエス” が何となく好きです。あなたの名前を言ったり、黒板や便せん、リポート用紙に書くのが好きです。あなたの名前が書いてあるボードを飾ったりするのもすきです。あなたの名前ほど、意識して繰り返したり言ったりしたものは他にはないのです。 」
ある人の名前を言ったり書いたりしたいって、その人を恋い慕っていることになりますよね。
キッペス神父が講義の中で「私はイエススが大好き」と言っていたのを思い出しました。
私はそこまでイエス様を恋い慕っているだろうか。
自分の信仰を反省させられました。

慈しみ深き友なるイエスは
罪咎憂いを取り去りたもう
心の嘆きを包まず述べて
などかは下ろさぬ
負える重荷を
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by martha2nd | 2012-05-13 23:23 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

理想的な人生

今日でパストラルケア科目Iの5日間の全日程を終わりました。5日間でノート一冊使い切るほど書き留めておきたいことがたくさんあった研修でした。3色ボールペンももともと多少は減っていたとはいえ、黒のインクはなくなりました。

ほんどうにどこからまとめていいのかわかりませんので、おいおいゆっくりそのノートから重要と思うことを書いていきたいと思いますが、とにかく、私たちは本物にならなければならない、ということです。つまり、私たちはたいていの場合、頭で考えることと心で思うことと口に出すことが違っていますが、頭と心が統合され、本音を表現し、その表現したことに対して責任をとれるようになることが、人生の意義を深めるうえで重要だと思いました。

本物の存在、統合された人間になるのは、一生の闘いなのだそうです。講師をつとめた81歳のドイツ人司祭も、まだ闘いの途中でしょう。

完全に統合されてはいないにしても、私たちはそれを目指していくことが大事ですね。一生というと、だいぶ先まで続くような錯覚がしますが、実は明日終わるかもしれないのです。そのように統合された人間になるために闘っているような誠実、真実な人でなければ、本当のコミュニケーションはできないのです。

特に死にゆく人に対して、誠実でない、真実でないコミュニケーションをとろうとするのは失礼なことです。死にゆく人たちは、私たちがまだ到達していない域に達している人生の達人、私たちの大先輩なのです。だから、その人たちと接するためには誠実・真実な人間であろうと最大限に努力する必要があるでしょう。パストラルケアに携わる者になるためには、私自身、これから日々努力をして統合された人間を目指したいと思います。

今日講師から聞いたことで一番印象に残っているのが次のような言葉でした。

「社会は理想的ではありません。でも、それに合わせて生きるならあなたの人生も理想的でなくなります。理想的というのは、自分の心の声、自分の価値観に従って、使命をもって生きるということです。闘いでもあります。そして闘いのために血が流れるなら、それは自分の血でなければなりません。お手本はイエススやガンジーです。」

世間なんてこんなもの、人生なんてこんなもの、と、開き直って無難な生き方ばかりしていたら、そのうち無難なまま人生が終わってしまいます。無難に、つまり難が無く過ぎればそれでいいのでしょうか。私たちは無難な道を行くために、自分の本音に耳をふさいでいます。自分の人生は他人が代わりに生きてくれません。自分で生きなければなりません。だから、たとえ険しい道であっても自分の心の声に正直に生きてほしい、それが本物の自分、統合された自分になる人生の歩み方だ、というのが、講師が言いたいことだったのだと思います。

ではまとめは追々。
おたのしみに。

追記: この研修のテーマは「傾聴」でした。私はこの研修が始まってからずっとある人の耳の特徴が脳裏に浮かんできていました。でも誰の耳の特徴なのか今日までわからなかったのです。身近な人の耳であることは確か。でも夫の耳でもないし、息子の耳でもないし、親しい友人の耳でもない。そしてわかったのです。母の耳だったのです。母が「傾聴の勉強を進めなさい」と後押ししてくれているような気がしました。ちょっとぞっとしました。
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by martha2nd | 2012-05-12 21:29 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)

研修最終日

今日は研修の最終日です。
昨日までの4日間は非常に意義深いものでした。
今日さらに意義深くなるでしょう。

あらためて学んだことをまとめようと思いますが、
きっとまとまらないでしょう。


これからの私の人生で力を入れていきたいのは、
これまでと同様に日本の労働者が人間らしい働き方、生き方を獲得できるように私にできる運動をすること、
そしてそれに加えて、
日本の医療現場にパストラルケアが広がるために私にできる運動をすること、
です。

日本の医療現場では医療とたましいのケアを切り離していて、「魂」「霊」「宗教」「信仰」などは現場から排除されているし、スタッフの間でもタブーらしいです。
でも海外では人間が霊的な存在と認識されていて、患者だけでなく医療スタッフに対しても心のケアが提供されているそうです。身体の痛みは麻酔や麻薬でとれたとしても、「なぜ私がこの病気に?」というような心の痛みは医療はどうすることもできません。
また医療スタッフも日々さまざまな患者さんに接して、心がとても疲れているものだそうです。ドイツではどの病院にもパストラルケア室があり、その存在意義の6割が医療スタッフのためだそうです。3割が患者さん、1割が患者の家族だそうです。医療スタッフ何人に対して、パストラルケアワーカーが何人と決まっているそうです。

日本を変えていきたいです。
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by martha2nd | 2012-05-12 05:50 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

明日から研修

明日からスピリチュアルケアの研修です。
患者さんには会わないのですが、とにかく一期一会の精神はいつも持ち、
患者さんに会いにいくつもりで毎日臨みなさい、と説明書にありました。
そして、着る物は会う相手への敬意を表すもの、と、教科書に書いてありました。
死が遠くない患者さんに会うときに敬意を表し、それでいて相手の気持ちをリラックスさせられるような服装とはどんなものでしょうか。。悩みます。
しかも、最近の中年太り傾向で、ジーパン以外で入る服があるのか。。。
あとで箪笥を漁らなければなりません。

それにしても「聴く」ということのむずかしさを予習からひしひしと実感しています。
人間の耳は受精から4か月半で出来上がるそうです。
胎児はかなり早い段階から、いろんな音を聞いて脳を発達させていくのですね。
そして人間の五感で最期まで残るのが聴覚だそうです。
母が死にそうなとき、お医者さんに「耳は最後まで聞こえていると言われているから、たくさん話しかけてあげてください」と言われました。
そして母が天国に旅立つほんとうに10分、20分前に、「天国でイエス様に会ったら、イエス様によろしくね!」と私が言うと、母はちゃんと聞こえていて、大きくうなずきました。それが私たちが相互にかわしたコミュニケーションでした。
そう、この「聴く」ということは、話す、書く、読むというコミュニケーションよりも一番たくさんしている作業にも関わらす、読み書きは多くの訓練を受けるけれども、話す、ましてや聴くということについてはほとんど訓練をうけません。

明日からの5日間、毎日みっちり「聴く」ことの訓練を受けます。
集中して聴くって本当に難しいことですね。
宿題に自分の心の声を聴く、ということがありましたが、意識がいろんなところに飛んでいて、目をつぶっているにもかかわらず、なかなか集中できませんでした。
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by martha2nd | 2012-05-07 16:04 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

スピリチュアルな叫び

ゴールデンウィーク明けに5日連続で朝から夕方までみっちりスピリチュアルケアの研修を受けます。これは科目が8つあるうちの1つめ。1つの科目を丸5日かけて学ぶのですね。それぞれの科目は不定期に開催されます。

宿題(予習してきてくださいというところ)もたくさん出ていて、昨日は教科書の「スピリチュアルな叫び」について読んでいました。

人は霊的な存在なのだけど、健康なときには自分の霊的な必要に耳を傾けない。しかし、病気や困難に出会ったとき霊的に満たされていないことによって痛みが強く出現することが多い、ということで、確かにその通りだと思います。

そしてもう治らない病気になったときに次のような霊的な叫びが出てくるそうです。母もきっとこのほとんどを感じたんだろうと思うと、胸が痛くなりました。でも母はこの叫びを抱えたまま亡くなったのではなく、これ以上生きられないという事実との葛藤と和解して旅立ったと思うので、それが何よりの慰めですが。

以下私もいつか通るかもしれないスピリチュアルな叫び。

迷惑をかけたくない
お世話になるのはつらい
自分は邪魔するもの
役に立つ人間でありたい
面倒をみてもらうのはもうごめん
なぜ私はこんなに苦しまなければならないのか
働けなければ自分に価値がない
和解したい
なぜ私の子供は死んだのか
なぜ神は私にこういう困難を与えるのか
何のために生きているのかわからない
私が死ねばこの子はどうなるのだろうか
こうして病気になるのは何か悪いことをした罰があたったからか
何も悪いことをしなかったのにどうして病気になったのか
許し・赦してもらいたい
死にたくない、まだやることがある
もう逝かせてほしい
死なせてください

これらの叫びは、ことば、呻き、顔や体の表情、ジェスチャー、合図、無言まで様々な表現があり、どうせわかってもらえないからと隠してしまうこともある

母はこのような叫びを心に隠して一人で苦しんでいただろうなと思いました。
少なくとも神様に対して叫べていたから、叫ぶ相手を知らない人より楽だったかな。。
ま、今頃は天国で痛みも涙もなく、それどころか歌ったり踊ったりしていると思うんですよね(笑)

とにかく私はこの学びの機会に感謝し、頑張りたいと思います。
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by martha2nd | 2012-04-28 10:42 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

親の祈り

夫は昨日からまた出張です。今頃広島にいます。
さて、昨日息子の保育園からのお便りに「親の祈り」というものが紹介されていました。
これは玉川聖学院の理事長、バートン宣教師が提唱しているものだそうです。

親の祈り

天のお父様、
私を良い親にしてください。

子どもたちをもっとよく理解できるように。

子どもたちが言おうとしている事を辛抱強く聞くことができるように。

そして、子どもたちの質問のすべてに親切に答えることができるように。

子どもたちの言葉をさえぎったり、否定したりしませんように。

礼儀正しくしてほしいと子どもたちに望むように、私自身が子どもたちに礼儀正しく接することができますように。

子どもたちの間違いを笑うことがありませんように。

そして子供たちに嫌な思いをさせられたとき、子どもをあざけったり子どもに恥をかかせるような対応をすることがありませんように。

利己的な満足のために、あるいは権力を誇示するために子どもたちに罰を与えることがないように助けてください。

正直さが幸せのもとであることを私の行いや言葉で示すことができるよう、いつも導いて下さい。

私の内にある意地悪さが少しでもなくなるようにと祈ります。そして、自分が不機嫌な時、主よ、どうぞ口をつぐんでいられますよう助けてください。

子どもたちがまだ子どもであり、子どもに大人の判断力を求めてはならないということをいつも心に留めていられますように。

子どもたちが時間をかけて自分で解決する機会を奪い取ることがありませんように。

子どもたちの正当な要求をすべて受け入れることのできるおおらかさと、子どもたちの害になると分かっている特権を否定することのできる勇気を与えてください。

どうぞ私を構成で親切な者としてください。どうぞ、主よ、子供たちに愛され尊敬され、そして手本にされる親となれますよう導いて下さい。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン


子どもたちの害になると分かっている特権、ってなんだろう。。泣けば親の心が折れるとか?バートン先生はブログをお持ちのようなので、聞いてみようかな。

Exciteブログって中央ぞろえの機能がないのでしょうか。祈りの部分だけでも中央ぞろえにしたかった。。
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by martha2nd | 2012-04-26 09:32 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)

デイリーブレッド

デイリーブレッド、意味は「日々の糧」。
という名のデボーションガイドがあります。
聖書を読むためのガイドです。
例話がとてもわかりやすいです。

目覚めて一番に目に入れる情報は聖書のみことばであることが、クリスチャンの私にとってはふさわしいのですが、目覚めきれていない頭と体でなかなか分厚い聖書を開くことができず、とりあえず身近な例話から神様に思いをはせられるこのデイリーブレッドを読むようにしています。

枕元の携帯電話でこのサイトにアクセスして読んでいます。

みなさんもいかがでしょう?
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by martha2nd | 2012-04-16 06:34 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(1)

パストラルケア

母の闘病中、実際には悪くなるばかりだったのに、治すことにだけ目が行き、それは母も望むことだったとは思うけれど、人はいつか死ぬのだから、母と「死」を前提とした話もゆっくりできればよかったなあと、ずっと心残りでした。

人間元気なときには本人も家族も明るく葬式や死んだあとのことなんかを冗談めいて話すことはできても、実際目前に死があるときに、口にするのは難しいものですよね。

母と天国ってどんなところなんだろうと思いをはせて語り合ってみたかったです。
母はずっと死が近いってことを受け入れられず苦しんでいたようだけど、もう最後の最後になって、声も出なかったけど、私にやっとのこと「ごめんね。がんばってね」と言ったのは、絶対に、「お母さんがこんなに早くに死んでしまって、あなたがこれからもし子供を産んだりしても何の手伝いもしてあげられなくてごめんね。お母さんがいなくてもがんばってね」という意味だったと思います。この時、母はやっと死を受け入れることができたんだろうと、私もホッとしたのを覚えています。

母はだから最終的には最後の数日間は心の葛藤はなく、ただ麻薬でもどうしても多少は残っていた癌の痛みには耐えなければならなかったけれど、自分の運命に対してもがくような思いはなかったと思います。

でも多くの人が、死を目前にしてそれを受け入れられず苦しんでいると思います。

欧米では終末期の患者さんへのたましいのケア、霊的な部分のケアが発達しているのですが、日本ではほとんど行われていません。

母の心をもっと早くに楽にしてあげたかったという思いもあり、また、切迫早産で入院中の病院で出会った素晴らしいチャプレンにスピリチュアルケアを学べる場所を教えていただいていたので、昨日、その準備講座を受けに行ってきました。

スピリチュアルなケアをするわけですから、それは大きな責任であり、勉強量は並大抵ではないことが分かりました。それでも先を学んでみたいと思わされました。道が開かれることを祈っていこうと思います。
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by martha2nd | 2012-01-23 14:06 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(12)

クリスチャン。在宅翻訳やってます。夫と文鳥との生活に奇跡的な誕生をした息子も加わり奮闘しています。


by martha2nd