カテゴリ:神・キリスト・聖書・十字架( 143 )

羊になったEli

こんばんは。ブログの更新を怠っています。
私が風邪をひいて節々が痛いです。齢のせいかも。。。

さて、今日はクリスマスでしたね。メリークリスマス!!!!!
今日この日にイエスキリストが生まれたわけではないのですが、昔のことで正確にキリストの誕生日を特定するのは難しく、とにかくキリストがこの世に生まれたことはとても重要で喜ばしきこと、ということで、元々はこの時期はヨーロッパで冬至を過ぎて日がのび始めたことをお祝いしていたそうなのですが、あるころからローマカトリック教会によってキリストの誕生日と重ねてこの時期をお祝いするようになったと聞きました。

だからクリスマスツリーの飾りには丸いボールのようなものがあったりします。あれは元々はヨーロッパ土着の太陽崇拝の名残なのだと思われます。私にキリスト教を伝道したアメリカのホストマザーなどはとてもその辺には厳しくて、クリスマスをお祝いしない非常に厳格で敬虔なクリスチャンでした。聖書で禁じている偶像礼拝を避けるためでした。

そういう非常に厳格な人もいますが、クリスマスは公にキリストの誕生日をお祝いできる滅多にない機会です。クリスチャンではない人もクリスマスには便乗して楽しみます。それにイエス様の誕生を特別に覚えるのは大切なことと思うので、私は大多数のクリスチャン同様、クリスマスをお祝いしたいと思っています。

今日は教会でクリスマスをお祝いする会があり、子供たちがクリスマスの朗読劇をしました。Eliたち小さな子供たちはセリフとか覚えられないので、ただ小道具?(笑)として、羊に扮しました。
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by martha2nd | 2011-12-25 20:18 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)
昨日の日野原先生の講演会のメモをもとに備忘録的、箇条書き的ものになると思いますが、書き留めておきたいと思います。

いのち、とは、見えないもの。時間。神様に与えられた時間をどう使うか。自分のためにどう使うか、人のためにどう使うか、それが重要である、と何度もおっしゃいました。

日野原先生は59歳でよど号のハイジャック事件に逢い、飛行機を無事降りて金浦空港の地面を踏んだ時に、命拾いをして、その命は自分のものではない、神から与えられたものだということを改めて思い、残された自分の時間は他人のためにささげようと思ってきたのだそうです。自分の人生のスタートは60歳だったと(笑) 現在100歳で、110歳までに看護師さんたちが麻酔を打てるようにする法整備に尽力したいとのことでした。だから110歳まで死ぬわけにはいかない、と。日本だけなのだそうです、看護師さんが麻酔を打てないのは。

いきる、とは「息する」を短く言ったもので、息で大事なのは吸うよりも吐くこと。十分に吐けばその分必要な空気が入ってくる。禅や太極拳の呼吸は1分に数回しかしないものだが、非常に効率がよく、体に良い。吐くということに準じて、私達の口から出る言葉の調子がコミュニケーションにとってとても大切であるともおっしゃいました。人間の耳には「ラ」の音が心地よいのだそうで、「ただいま」とか「ラ」の音で言うと良いと(笑)

寿命は神様から頂いた時間であり、いのち、つまり他人の時間も大切にすることが平和をつくる、というお考えでした。だから他人の命を奪うような戦争には断固反対というお考えでした。

100歳でも1時間ほど立ちっぱなしでの講演でした。昨日テレビ局で収録をした後に、患者さんを2人診察して、それからこの講演会に臨まれたそうで、本当にお元気でした。最後には先生のすばらしい指揮で「ハッピーバースデー」の歌の代わりに、「ふるさと」を会衆で斉唱しました。オカリナの得意なお医者さんが出てきて、オカリナで伴奏するというとてもシンプルでしたが、すばらしい合唱でした。

後半、講演会主催者のホスピス研究所の山崎医師と日野原先生の対談でした。山崎医師は福島の出身だそうで、ホスピスでは幸せな死もあるが、3.11で一瞬にして命を断ち切られた人とその遺族の苦しみにどう寄り添えばいいのか、と日野原先生に質問されました。日野原先生は多くの遺族が自分が生き残ったことへの罪悪感の中で苦しんでいる。こういう場合言葉は慰めにならない。自分だったら、まずは手を取って、自分の体温が相手に伝わってから「あなたに対して私に何かできることはあるでしょうか」と訊ねる、とおっしゃいました。

先生は「僕の手は柔らかくてあたたかいのよ、毎日オリーブオイルを15グラム摂ってるから」とおっしゃってましたが、その通りほんとに柔らかくてあたたかい掌でした。ご著書を買ったら握手してくださったのです!

あと葉酸が長寿によいそうで、キャベツやブロッコリーやレタスを食べると良いともおっしゃってましたよ!そして豆肉魚のたんぱく質も不可欠だそうです。
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by martha2nd | 2011-12-02 14:33 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(6)

亡き母の誕生日

今日は亡き母の誕生日でした。明日はハロウィーン(日本でいうところのお彼岸みたいな欧米のお祭り)だからか、私の中の潜在意識が働いて、今朝の夢には母が出てきました。母は事実と同じように4年前に亡くなっているのですが、夢の中では遺体というものは荼毘に付したり埋葬したりするものではなく、まるで大切な記念品を保管しておくように、実家に保管されていました。そして4年たっていても遺体は腐敗したりミイラ化したりもせず、あの葬儀のときのままなのです。

もちろんちょっと古びた感じにはなるのですが、私は夢の中で、母の誕生日でもあることから、久しぶりに母(の遺体)に会おうと、棺の蓋を開けるのです。まるで大切にしまってあったトロフィーの箱を開けるように、少しだけほこりをかぶった蓋をずらしました。

すると母の遺体が寝返りをうち、私はもうびっくりして後すざったのですが、腹を据えて「お母さん、起きたの?生き返ったの?」と話しかけ、お互い4年も会ってないわけですから、少し気恥ずかしい感じを覚えながらも、母をテーブルにつかせ、お茶を出しました。何を話したかは覚えてないのですが、お茶を一口飲むたびに、母の顔色は血の気を取り戻していき、元気になっていきました。闘病後の痩せこけたままの体ではありましたが、少なくともすい臓がんはすでに過去のものとなり、元気そうな肌色、顔つきになっていきました。

テーブルでお茶を飲みながら少しだけ会話しているシーンで終わってしまいましたが、夢の中の母が元気そうでよかったです。
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by martha2nd | 2011-10-30 23:48 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)
ここのところ、私の身の回りで癌を患っている人が何人かいます。
再発の可能性は皆無ではないとしても、すっかり治ったように見えるだけでなく、癌になる前よりパワフルに見える人、抗がん剤を使わないと決めて、漢方と食事療法だけで戦っているものの、経過良好の人、発見が遅れ、手術もできないが、残された抗がん剤という手段で可能性にかけている人。

私の母などは、最後の人と同じようなケースでした。

非常に発見が早く、簡単な治療でキャンサーフリーになる人。

厳しいケースの癌でも奇跡的に癒される人がいます。もし癒されなかったら1年とか2年の命だったかもしれない人が、それから何年も元気に生きることを許される人。

そして母のように、発見が非常に難しいところに癌ができて、手術もできないけど、抗がん剤でかかんに戦って、それでもそんなに効果があらわれず、終末期となり死を迎える人。

奇跡的な癒しを経験した人は勝利者で、癒されることがなかった母は敗者なのか?余命が延ばされた人はこの世に必要な人で、速やかに命を取られてしまった人はこの世にもう必要ない人だったのか?

正解はNOですよね。

奇跡的な癒しを受けた人も、一度は病気が治ったとしても、いつか老いがやってきて、たとえ大きな病気にならなくても、老衰して死を迎えるでしょう。

可能性に満ちた子供でも不治の病で亡くなる場合があります。有能な青年、壮年が、惜しまれつつこの世を去ることがあります。本人たちも無念でしょう。でも神様から見たら、本人の無念さ=敗北、ではないと思います。

私がEliを妊娠中、Eliは生まれても生きられないし、生まれる前におなかのなかで死んでしまうかもしれない、と医者に宣告されていたとき、私を見舞ってくれた宣教師が言いました。

たった1日の命も、100年の命も、神様の目には同じ価値だと。

それを聞いて、聖書に、「神の目には1日は千年のよう、千年は1日のよう」とあるのを思い出しました。

たとえ、おなかの中の子どもが、たった数か月私のおなかのなかで生きただけの命だったとしても、この子の人生を神様は貴んでおられるのだと知り、ほっとしたのを覚えています。

私たちの本当の勝利は、この世でたかだか100年くらいの人生を終えたあとに永久的に続く時間、どこに行き、どこで過ごすのかにかかっているのではないでしょうか。

聖書には天国と地獄があると書かれています。天国に行くための条件も。

今私の周りにいる癌の親戚、友人、知人。それぞれに病気の経過も、寿命も、違うのでしょうが、3人とも同等に最後には天国に入り、本当の勝利を得るでしょう。私の母がそうであったように。

このところ、育児で多忙で頭が回ってないなりに、紋々と考えて、病気の癒しは一時的なものですが、死は不可避で、死後の世界は永遠だということを再確認したのでした。私にも必ずくるその日。慌てず、騒がず、迎えられるようにしたいです。
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by martha2nd | 2011-08-31 00:51 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(4)

抗がん剤

今日は夫のいとこが行っている教会で礼拝を守りました。
この教会では、Eliがおなかにいたころから、見ず知らずの私たちの試練のために、
お祈りしてくださっていた兄弟姉妹がたくさんいるので、
もっと早く行くべきだったのですが、Eliが3歳になろうとしている今頃やっと
お礼かたがた、Eliの元気な姿を見せにうかがったというわけです。
Eliの元気な姿を見て、涙を流してくださる方もいて、
Eliが本当に祈られていたんだなと改めて思うことができました。
多くの方の祈りに支えられて、その方々の信仰に神様が答えてくださって、
私たち夫婦は奇跡を受けるにはとてもふさわしくないものですが、
他の信仰と憐みに満ちたクリスチャンの祈りに、
神様は応えてくださったのだと思います。

さて、この夫のいとこですが、ちょうど私が妊娠していたころ、
スキルス胃癌がみつかり、胃を全部摘出したのです。
その後1年間抗がん剤も使ったそうですが、抗がん剤を使った感想としては
「百害あって一利なし」だそうです。
今は手術の前より体重があるくらいで、医者も驚いているそうなのですが、
彼女は、主治医には言わずに始めた漢方薬のおかげだと思っているそうです。

彼女とも仲の良い私の友人が、今乳がんを患っていますが、
乳がんの彼女も自分の考えをしっかりもった人で、
いろいろリサーチした結果、抗がん剤は使わないことを決心しています。
夫のいとこからのアドバイスもあったようです。
私は標準治療で治った人もたくさんいるから、標準治療をトライしたら?と思ったりもしたのですが、
彼女の固い意志を尊重したいと思います。
実際、食事療法と漢方と湯治だけで、彼女の乳がんは少し小さくなったそうなのです。
神様には不可能がないから、神様が癒そうと思ったときには、
抗がん剤を使おうと、漢方を使おうと、癒されるのだと思います。

たしかに、私がもしガンになったとして、抗がん剤を使いたいかと訊かれれば、
使いたくないかもしれない。母の苦しみも見ているし。
そう思えば思うほど、母に癒されてほしかったし、励ますつもりだったにしても、
抗がん剤を使ってガンと戦うことを家族で選んでしまったことを、
時すでにおそしですが、後悔してしまいます。
母は負けず嫌いで、自ら戦うことを望んでいたけれど。
でも「お母さん、寿命は短くなるかもしれないけど、残された日々を穏やかに過ごそう。抗がん剤で苦しみながら過ごすのではなく」と提案することもできたんだなあ。
これこそ本当に勇敢な決断なのかもしれません。

でも抗がん剤で癒された人もなかにはいるわけですから、むずかしい選択です。
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by martha2nd | 2011-08-07 23:20 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

今日は母の召天記念日

母は天国にいると思うとすっかり安心しきってるし、育児でばたばたしていて、今朝父からの電話で気付いたのですが、今日は母の召天記念日でした。
4年前の6月10日の夕刻、母が天国へ凱旋していきました。

そのときのブログ記事「パラダイス」
「前夜式」の記事。

数日前はちゃんと覚えていたんですがね。。。それで、母のメモリアルスタンドに飾ってもらうために父にアレンジメントを送ったのです。それが届いたという電話で、今日が記念日だと思いだすという、なんとも皮肉な。。。
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by martha2nd | 2011-06-10 12:06 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)
キリスト教の本屋さんなどでもらえる「いのちのことば」という冊子があるのです。
先日久しぶりにキリスト教書店に行って本を買ったので、この冊子を手にしました。
NHKの英語講座などで昔講師をされていたこともある早稲田大学名誉教授の東後勝明さんという方の文章にうなづかされたので転載します。

「信仰の落とし穴(3) 御心を求めて」というタイトルでした。

以下転載

クリスチャンなら誰でも知っている祈りに「主の祈り」がある。
その中にこういう一説がある。
「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」

ところが、私たちが実際に祈るときはどうだろう。
どうしても「こうしてください」「ああしてください」
と自分の思いを祈ってしまう。

祈りとは一般に「自分の思いや願い」を神様にかなえてもらうために行うものだ。
たとえば病気の人は「どうぞ、私のこの病をいやしてください」と祈る。
その結果、祈りがきかれ癒されると、
「やはり主はおられる!」「祈りはきかれた!」と心の底から感謝をすることができる。

しかし問題は癒されないときである。
「どうして私のこの病を癒してくださらないのだろうか」
「神様は何でもできるはずなのに」との思いが
頭をもたげてくる。やがて信じていたつもりの神様も見えなくなり、
「神などいないのでは」と思い始める。

そのうちうっかりすると、思いがかなうと神は存在し、
かなわないと神はいないと思うようになり、
なんとか神を味方につけ、自分の思いを遂げようとする。
こうなると、「神様、神様」と言いながらも、いつのまにか
自分の思いが中心となり、自分に都合のいい働きをする神様を追いかける。
やがて人はこうして自分に不都合な神から離れ、即効性のある
いわゆるご利益宗教に走るようになる。
多くの人がここでも足を取られる。

しかし、私たちが信じるキリスト教の神様は、
自分の思いがかなわないときも、病が癒されないときも、
悲しみのどん底にあえぐときも、まったく孤独と思われる
陰府にいるようなときも、私たちと常に共におられる。
主は私たちを見捨てられない。
見捨てるのは私たちではないだろうか。

あえて言えば、信仰を持ち、諸事万事が自分の思うようにうまくいくから
心に平安が保たれるのではない。

私たちは、生きることも死ぬこともすべては
主の御手の中にあり、一切が赦され、贖われ、救われていることに
気づいたとき、はじめて真の心の平安が与えられるのではないか。
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by martha2nd | 2011-05-31 14:50 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

復習と分かち合い

先日行った聖書セミナーの復習をかねて分かち合いをしたいと思います。
復習といっても、ディープなことはできないですけど。
要点のみとなると思いますけど。。。

1日目「救いの10の側面」

回心(罪人が意識的に信仰と悔改めをもって神に立ち返るようにさせられる、神の業)

悔改め(今まで信頼していなかった知識を信頼すること。方向転換)
信仰告白*信仰によって自発的に出てくる言葉であって、他者に対してあるいは公に告白するものとは限らない)

新生赦し転嫁養子

確証

栄化

太字になっている10の言葉が「救いの10の側面」
論理的にはこの順序で起こるが、実際はほぼ同時に起こっている。

分かりにくいことばは「転嫁」でしょうか。これは他の人の勘定に移されるということ。つまり、私たちの罪が、イエス様の勘定に移され、イエス様が私たちの身代わりとなられて処刑されたということ。
それから「養子」。これは信じる者は神がご自分の子供としてくださるということ。つまり、信じる者には神から相続する権利が与えられている。

2日目「位置的真理」
救われた者に関して、33事項の位置的真理がある。これは33事項、すべてすでに与えられているものだが、この世にあってすべてを得ているのではない。この33事項の位置的真理に近づくべく生きようとするのが、クリスチャン生活であって、天国に入ったときに、すべてを得る。

1. 贖い
2.和解
3.なだめ
4.赦し
5.義認
6.栄化
7.解放
8.割礼
9.神に受け入れられる
10.御霊の初穂
11.神の永遠の計画の中に
12.メシア(岩)の上に置かれている
13.近い者とされた
14.聖なる祭司の一員とされた
15.神の国に移された
16.選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民
17.天国の市民
18.神の家族の一員
19.養子縁組
20.神の子
21.聖徒の交わりの一部
22.主にある光
23.天的な関連性
24.満ち満ちている
25.すべての霊的祝福を所有している
26.父なる神から子なる神への贈り物
27.メシアの受け継ぐ遺産
28.相続人
29.律法からの解放
30.古き人が裁かれ、新しい歩みが始まった
31.父、子、聖霊に結ばれた
32.神に近づくこと
33.神の大いなる守りの中にある

この33事項に関しては、複雑なのでタイトルだけ。余計わかりにくいと思いますが。私の復習のためということで。ほんとにもったいないことだと思うのは、26、27の私ちクリスチャンは「父なる神がイエスに与えた贈り物」であり、イエスにとって「遺産」となるほど大切なものとして考えられているということ。聖書がそう言っているのです。
私の母は地上の生涯を駆け抜けて、今この33項目をすべて得ているのだなあと、うらやましくも誇らしくもあります。
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by martha2nd | 2011-05-09 23:37 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(4)

自分へのプレゼント

今日、明日と、渋谷で行われている聖書セミナーに参加しています。
10時から17時までみっちり聖書の勉強をするセミナーです。
聖書はヘブル語やギリシャ語で書かれていて、そこにはやはり当時のユダヤの文化などを知っていないと、深くは理解できないことがたくさん書かれています。
この2日間は、キリスト教徒となったユダヤ人の聖書博士が、聖書の教える「救い」について、講義してくださるという、とても貴重な機会です。

この2日間は、夫に育児を丸投げして、ふだんの礼拝でもEliがいるためにメッセージに集中できず、家でも聖書を開けない状態が続いている私自身へのプレゼントです(*^。^*)

明日も早いからおやすみなさ~い♪
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by martha2nd | 2011-05-03 22:10 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(2)

神の家族

昨日は教会の予算総会でした。
最初に小坂忠さんの「神の家族」という歌を賛美しました。

♪主が愛されたように
私たちも愛し合う
主がゆるされたように
私たちもゆるし合う
主が仕えられたように
私たちも仕え合う

神の家族
神の家族
神の家族
神の家族♪

Eliはこの賛美が終わってからも「かみのかぞく~♪」と口ずさんでいました。
この歌のように平和を作る人に育ってほしいです。
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by martha2nd | 2011-02-28 13:43 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(0)

クリスチャン。在宅翻訳やってます。夫と文鳥との生活に奇跡的な誕生をした息子も加わり奮闘しています。


by martha2nd