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人生の四季

来月パストラルケアの研修があり、その課題であるブックレポートにここ数日明け暮れていました。
患者に耳を傾けるように、著者の言いたいことに心を傾けて読むように指示されており、普段いかにいい加減に本を読んでいるかを実感しました。ただでさえ深い内容であるその本の著者の言いたいことを理解しようとするのは、非常に難しく、時間のかかる作業でした。

ブックリストの中から私が選んだ本は今は亡きスイスの精神科医ポール・トゥルニエの「人生の四季」という本です。幸い、読んでみたくて、何年も前に入手していたのですが、読む暇がなくて、本棚に眠っていました。でもこの機会に手に取ることができてよかったです。

150ページのこの本を読んで、内容をA4用紙4枚までにまとめなければならなかったので、まとめついでにこちらに掲載します。本当はもっと短くまとめなければならなかったのでしょうが(1000ページの本でも最大7枚までにまとめるようにと指示があったので)、あまりにも中身が濃く、短くまとめるのは困難でした。

上手くはまとまっていませんが、人生の春(幼年期)、夏(青年期)、秋(老年期)にいる人だれにでも参考になると思いますので、よろしかったらご自分の部分だけでも読んでみてください。私は自分は夏にいると思っていましたが、秋はユングによると40歳から始まるそうです^^; そして幼年期の子どもを育てる母親としても大変参考になる本でした。

以下私のブックレポートより。

内容

人間の生涯では、自然界と違って、人生の秋つまり老年期においても春が来ることがある。たとえば、80歳になって回心を経験した私(=トゥルニエ)の知人は「私は今生まれたばかりのみどり児のような気がする。私の人生は今はじめて始まったのだ!」(p6)と言ったが、彼の過去や経験のすべてが消されたのではなく、彼がその人生を別の光に照らして見た表現であり、自然の秩序に逆らったわけではない。同様に子供が人生の根本的真理を鋭く把握して大人を驚かせたとしても、必要な教育と成長段階を経なければ、幼児の思考法からは脱却できない。つまり、人間は自然の一員であり、奇跡的な宗教体験や霊的体験でも、この自然的性質から解放されることはない。しかし、人間は動物と違って自然と超自然(精神)の世界に同時に所属している。その境界線は人間の精神内での区別でしかなく、自然と精神は互いに浸透し合っている。この矛盾と二重性は人間にとっては不可解な謎で、現在人間の精神は自然的と超自然的な人間の生を幾分なりとも調和させるような一つの概念を探し求めている最中であるが、私は神の計画という聖書的理解だけが満足できる解答を与えると思っている。

神は人類全般におよぶ計画だけでなく、一人一人の人間に計画を持っておられる。それゆえ人間を研究するときは、一人の人の歴史と生成とに興味を向けなければならない。「一人の人間の現在の態度は、それまでに彼が経験した一切の事柄と、彼の現在の年齢相応のさまざまな欲求とから説明されうる(p19)。」フロイト以前までは、子供は大人の雛型と考えられていたが、子供には子供固有の心理学があって、大人の見方で教育すべきではない、とフロイトが説いた。一人の人間は絶え間ない発展の中でとらえられるべきであり、一つの個人的な歴史としてとらえられるべきである。聖書的にも、心理学的にも、私たち人間は常にある具体的な状態におかれていて、常に発展変化している。この発展に四季が含まれている。

幼年時代はまさに人生の「春」であり、一人一人の子どもは宝を内に秘めていて、花開く準備をする時期である。どの子も独自の人生の計画を内に秘めており、その計画は人生の歩みを進めていくうちに発見されていくもの。しかし多くの親が、自分の子どもに対して身勝手な未来像を描き、本当の人格として扱わない。子供はすでに、あらゆる感情を彼らの年齢なりに経験していて、子供の心の中で演じられていることが、大人から教示されることよりもはるかに大きな影響をその子の生涯に与えることになる。また、子供は無頓着に見えても、家庭の中の力関係や両親の仲について、敏感に気づいているものであり、蕾の状態にある子供は、寒暖計よりも敏感に気温の低下をキャッチしてしまうもの。蕾には温度と覆いが必要で、両親が互いに愛し合い、幸福かどうかにかかっている。幼年時代にこうむった霜の影響は老年にいたるまで見られることがある。

子供と大人は全く違う考え方を持っていて、子供の考え方は魔術的で詩的空想。現実より非現実に興味を持ち、物事それ自体よりも抽象的なものに興味を持っている。親は子供の詩的な欲求に気づき、それを認めることが親子の人格的な触れ合いとなる。このことは人間にとって絶対不可欠である。親は学校教育や職業技能訓練を与えることしか重要視しないが、子供が持っている他者と純粋に深くかかわる能力や感動する心、空想力といったものが、知識や技術同様に人生の成功の鍵となる。学校の勉強より遊びの中で子供は将来を思い描くもので、子供の頃遊びを心得ていた人は、大人になっても仕事ができるものだ。親は子供を尊重しなければならない。つまり子供の遊びを尊重し、子供の羞恥心を重んじ、子供の年齢を重んじることである。つまり大人扱いするのもよくないし、いつまでも子供扱いするのもよくない。子供の心を健康にするか否かは両親の愛情にかかっていて、赤ちゃんのときから一人の人格として、その個性、独創性、運命を認め、両親の所有物とみなされるべきではない存在として接することであう。

青年時代は自分自身の実存を十分に自覚すべき時期。子供の時期から青年期への過渡期が来ると、人生の「春」は終わる。ユングによれば、青年は常に絶対を求め、人生を白か黒かにしか見ることができない。そのため、青年は自分の内の気に入らない部分や恥ずかしい部分を認めないが、過ちのない人はおらず、青年は自分の影の部分を含めた自己全体を受け入れることによってのみ、人間として完全に発展開花することができるということを会得すべきである。これがユングの言う「統合」の道であって、自己の本性をありのままに知ろうとする勇気ある行為である。自分には向上しえない部分があることも知っていく。ここまでくると、すでに夏から秋への移行が見られる。この統合は内奥からの呼び声によって導かれるものなので、自然的なものではなく、精神的なものである。

成長のために重要な役割を果たす要素が4つある。
一つは「愛」で、子供は特に愛情を必要とし、その欠如は身体、精神の成長の阻害ともなる。しかし両親の愛がどれほど大きくても、子供の欲求を完全には満たすことは不可能であり、この問題への答えは無限で無条件の神の愛だけである。私は幼くして孤児となったが、神の無限の愛にとらえられて、孤児という運命のもたらした傷から癒された。
二番目が「苦悩」である。苦悩や試練は悟りを得る助けになる。しかし、苦悩が人間の成長発展を妨げることもある。重要なのは苦悩の受け止め方であり、医者としての任務は、「可能なかぎり、身体的な苦痛や精神的苦痛に打ちひしがれている人間の味方となることにありますが、同時に、その苦悩や苦痛を意義ある体験たらしめるように助力することにもある(p60-61)」
三番目の要素は「同化」、つまりごっこ遊びや模倣である。女の子は人形遊びをしながら自分を母親と同化し、男の子はある時期がくると自分を父親と同化して子供の遊びから離れ、男性的な態度を誇示するようになる。しかし、父親には限界があり父親を手本にしすぎるならそのスケールを越えられないので、男の子は、伝説の英雄とか科学者、歴史上の聖者などに自分を同化する必要がある。人間は同化の連続で成長する。しかし、それぞれの同化対象には限界があるので、究極的にはイエスに似たものとなろうとすることが永遠のチャレンジである。
四番目の要素は「順応」。人間は新しい状況に置かれると、個性を改めたり、自分の習慣を改めることを要求されるが、それは容易ではない。子供はこれに勝利することによって成長するが、もしこの緊張に耐えられないと後退することがある。親は子供の周りからこのような緊張を取り除きすぎてもいけないし、早すぎる時期に困難な適用を強制してもいけない。しかし、あまりに上手に適応しすぎる場合もある。たとえば、一度も喧嘩をしたことない夫婦などは、どちらかが相手に完全に順応してしまい、自分の個性を完全に失っている。自己克服を経ての順応でなければ成長にはつながらない。

カトリック教会もプロテスタント教会も、生気がなく、もの悲しげで疲れた人が多い。彼らは抑圧されていると感じ、自己主張ができなくなっているのだ。このような状態は外的な悪条件に打ちひしがれているというより、内的な反抗心、否定的な力によって抑圧されている、未成熟な状態。このような人たちは、本当は激しい気性の持ち主で、一般的な青年にも多く見られるが、自分自身の感受性の強さに自分自身で不安を抱き、自己を解放できなくなっている。不安の裏返しは願望の存在であり、望みを持たなければ不安はない。多くのキリスト教信者が聖書の教えから離れ、「宗教的であるということはまず第一に、お行儀よくするように(模範的な子供であるように)常に努力することであり、それは何よりもまず禁止条項をよく守ることを意味していた(p74)」ので、抑圧を感じる結果となったが、聖書は道徳的なものに重点を置いているのではなく、「神が喜びとされることは、人間と宥和し、神ご自身の無限で無条件の赦しを人間に与えること(p74)」である。道徳主義は教会の幼稚退行現象ともいえる。聖書に照らして見る時に重要なのは、自分にやましいところがないことではなく、自分の罪を認めて、頭を下げること。聖書的な、あるいは、成熟した大人の罪意識とは、この世のあらゆる悪や苦悩を自分と分かつことのできないものと感じ、共同責任を感じることである。この責任感とは自由があるところにのみ存在するもの。親が権威主義では、子供は責任感を育めない。両親に強く依存している限り、子供は責任からのがれている。神に出会い、神の前に責任を自覚することが、解放するキリスト教である。神への依存のみが私たちを偏見から解き放ち、一人の人格としてくれる。神が望んでおられるのは私たちの人生の充実である。イエスが、当時人間的な名声の頂点に達していたニコデモにさえも勧めた「生まれ変わり」とは、フロイト学派のいう「成熟すること」を含んでおり、ユング学派の「統合」の基礎をなすもので、イエスが最終的に意味したところは「生まれ変わり」とは神の国、永遠の生命である。

この「神の国」とは死後に見いだされるのではなく、今すでに始まっている。神の国とは未来だけでなく、現在の具体的な生活を充実させることであり、この充実が完成されるのは結実の季節である「夏」においてである。「充実した人生とは、私たちが日々生じてくるさまざまな問題を解決した後にはじめて開始するのではなくて、勇敢に課題と取り組むという姿勢の中にすでに存在している(p90)」。夏を充実させるために従うべき法則は、実を結ぶこと、つまり「行為」である。「行為」は「休みない活動」を意味しない。「最も実り豊かな行為は静思から生まれる(p98)」。「当を得た行為がなされるためには、まずその前に、熟考の時がなければならず、これこそ自分がなすべき仕事だ、という霊感を与えられた確信ある選択がなされなければなりません(p101)」。信仰のない人でも、この人生が一つの責任を伴った贈り物なのだ、という考えをもっているものなので、このような確信を持つことができる。

果実の善し悪しを決定するのは、十分に熟しているかどうか。ゆえに、夏の季節は、活動ばかりでなく、心を統一し、内省する時間も重要である。瞑想においてこそ、個人の価値基準や決断を探し当てることができるものである。青年があまりに早く、一つの哲学や信仰、または女性などを決定してしまうのは不適当だが、季節が深まってくると、今度は断念することが重要になる。「何物をも棄てようとしない人は、精力を浪費しすぎてしまって真の開花には到達しません(p107)」。私たちは実現できるものよりも多くのものを断念しなければならず、成功だけでなく、多くの失敗があることを認めなければならない。しかし、失敗のほうが成功よりも実り豊かなものであるかもしれないということを理解するようになる。何か重大な失敗や幻滅(病気)などを味わうことで、価値の再検討をせまられ、人生第二の転機である老年期、「秋」が始まる。

「秋」は突然近寄ってくる。私たちが目標に到達できなくても夏は過ぎ去る。しばらく前までは成功を獲得することが目標で、失敗も挽回できたが、やがて誇りも、挽回しようとする意志も、一切断念しなければならなくなる。しかし、そのような状況でも、人生の充実は可能。預言者エレミヤがたどり着いた結論のように、「勝利よりももっと深く、もっと勇ましく、もっと実り豊かな成果が存在する、という考えであり、また、奇蹟とは、敗北や不成功を受け入れることであるという考え(p114)」である。一方繁栄の下での老化は、内面の成長によるものではなく、感覚の鈍った退屈によるものである。成功している人にとっては、ますます成果が上がり、ますます生産的になることが人生の充実であるが、そのような充実に到達することは不可能で、終わりのない競争のようなものである。しかし、本当の充実とは、もっと微妙で、直感的にとらえられる超自然的なものである。「真の幸福は常に、一つの深い内心の統一と結び合わさっています。自分の年齢を肯定することこそ、真の幸福の前提なのです。つまり私たちは成年に達したらばもはや子供でないことを肯定しなければならないし、年を取って来たら職業生活の多くの活動を断念しなければなりません(p122)」。真の幸福とは、心の持ち方、つまり、その人が真に成熟しているかどうかの問題である。真の幸福は「何が人生の意味なのか」という問いを投げかけてくるものである。大切なことは人生の真の意味を発見することであり、人生の意味の探求が老年期の法則である。

老人たちが過去を反省し、価値の再検討を行い、残された人生の意味を発見するには、対話が重要である。私たちの人生の転機は、必ず出会いがきっかけとなっている。観念、人、書物、映画、自然現象、哲学などとの出会いである。そして、神との出会いは、人間の心を自由にし、本当の人格を得させるものである。私自身、子供のころに神に出会ったが、大人になって、現実的な活動の中で再び神と出会った。それは、医師としての仕事を導いてくださった、霊に満たされた人たちとの対話の中で起こったのだ。聖書に「私たちは今は鏡によって見ている」とあるように、十全な神認識は持てないが、冬の死のかなたでは、顔と顔を合わせて神を知るようになる。死の接近はまるで秋から冬への移行のようである。「その際私たちは、このすべての道程には一つの意味があるのであり、この道はどこかあるところへ、もうすでに私たちに告知されてはいるがまだ秘められている充実へと導き行くものであることを知っています(p150)」。
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by martha2nd | 2012-08-31 11:51 | 神・キリスト・聖書・十字架 | Comments(5)

花火はもう終わり

昨日、マンションのお友達に、余った花火があるからいっしょにやらない~?と声をかけてもらい、もう一家族参加ということで、余った花火じゃ足りないだろうと、うちからも持っていくつもりで近所のお店をいくつか回りましたが、「もう花火は終わった」ということでした。夫に頼んで会社がえりに渋谷のドンキホーテで入手してもらい、なんとか我が家からも花火持参で行けたのですが、子供たちは早々に花火に飽きて、公園の遊具で遊びはじめたりして、結局花火は余っちゃいました。友達、花火を消費したかったんだろうな。うちから持っていかない方がよかったかもしれません^^;

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by martha2nd | 2012-08-30 12:19 | 息子の誕生後 | Comments(0)

今朝の朝焼けです

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by martha2nd | 2012-08-28 19:23 | Comments(6)

意外と可愛い

昨日の朝から我が家の玄関先に居て、今朝になっても居座っている巨大カマキリがいました。
昨日よりお腹が大きいみたいだし、こんなところで産卵されたらたまらん!ということで、数分間の格闘のすえ、ビニールに入れて、近くの公園にある鉄塔のフェンスに放しました。あまり高い草がなかったので。。カマキリって高いところに卵を産むって聞いたことがあるので。

意外と可愛いんですよね、首の動きとか、目とか(笑)

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青空の下、足先の手入れなどして、結構幸せそうに見えました。
ではお元気で~
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by martha2nd | 2012-08-27 10:52 | 動物植物 | Comments(0)

保育園の夏祭でした

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by martha2nd | 2012-08-25 21:26 | Comments(0)

あいうえお

修正2歳3か月くらいの写真発見しました。
あいうえおと言っています。
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by martha2nd | 2012-08-21 14:15 | 息子の誕生後 | Comments(1)
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何となく、どんなところか行ってみましたが、すごい人でした。輸送機って口開けるとまるでジョーズ。中にも入りました。ほんとにただの空洞。戦車とか積むんでしょうか。
戦闘機のパイロットにも抱っこされました。
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by martha2nd | 2012-08-19 21:25 | Comments(2)

えびのカレーライス

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昨日まで夫が夏休みでした。
保護者がお休みのときは極力家庭で保育するようにと保育園から言われていたのですが、
たまには夫婦みずいらずで食事に行きたいと思い、
お父さんがお休みだとEliは保育園できっとそのことをバラすだろうから、
朝から一芝居打って(笑)、夫はEliの前で仕事に行くふりをしました。

前日の夜に読んだ「あかたろうの123の345」という絵本で、エビのカレーライスを赤鬼の家族が食べるシーンがあり、Eliも「明日はえびのカレーライスを食べたい」と何度も言っていたので、
Eliをだまして夫婦でランチを食べに行ったことのうしろめたさもあり(笑)
ランチの帰りに有頭ブラックタイガーを買ってきて、夜は夫が本当にエビカレーを作ってくれました♪

Eliはエビの頭は食べなかったものの、大人と同じくらいの量のカレーを平らげました。

今日から夫も本当に仕事が始まりました。Eliも保育園。私も家事と仕事です。
まだまだ暑い夏ですが、みなさんも元気で乗り越えて、秋に突入しましょう!
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by martha2nd | 2012-08-16 10:40 | 息子の誕生後 | Comments(0)

手形と足形でザリガニ

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by martha2nd | 2012-08-14 15:12 | Comments(0)

無事帰りました

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昨晩無事東京に帰り、今日は保育園を休んで、公園で遊んでます。
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by martha2nd | 2012-08-14 12:59 | Comments(0)

クリスチャン。在宅翻訳やってます。夫と文鳥との生活に奇跡的な誕生をした息子も加わり奮闘しています。


by martha2nd