共にいる
2014年 05月 27日
先日ホームに見舞った祖母の横顔です。
私はパストラルケアの勉強をしていますが、身内に対してはとても難しいなと思いました。
パストラルケアというのは、基本的には終末期の患者さんの心と魂のケアですが、
社会にはいろいろな問題があり、自殺を考えている人、虐待に逢っている女性や子供、
愛する人と死別した人、そのほか、自分の思い通りにならない状況の中で苦しんでいる人たちにも届きたい、という思いが、パストラルケアの指導者や学習者にはあります。
つまりパストラルケアというのは
「思い通りにならない状況の中で、希望や喜びを見つける、自分の中にある前向きな力を見出す」ことのお手伝いをすることです。お手伝いというのは大げさで、実際は相手の話に心から耳を傾けていると、相手がおのずと、自分の中にあるパワーに気づいて、状況は変えられないけれど、思いが前向きになる、というものです。
心から相手の話に耳を傾けるというのが、もともと難しいものですが、身内に対しては特別に難しいことだと思いました。
私が第三者として、初対面の患者さんのお話に耳を傾けていると、たいてい昔のいい思い出などを話してくれるようになり、笑顔になられたりするので、祖母の場合も昔のことを思い出させてあげたいと私が先回りをしてしまい、祖母にとっては重要ではないとか、思い出したくないこともまで、思い出させたりしてしまったかもしれません。
「何もお構いできず、坊やにおこづかいもあげられなくて、本当にごめんなさい」と何度も繰り返す祖母でした。そんなことを気にしている祖母をこちらがいたたまれなくなり、祖母のそんな発言を遮ったりしました。もしかしたら、「ごめんなさい」を何度もいうことで祖母の気が楽になったのかもしれないのに。
祖母が沈黙していれば、私から沈黙を破ったり。
パストラルケアの基本は「共にいる」こと。沈黙している相手には沈黙している相手を受け入れて、私もその沈黙の中に共にいることが大切なはずなのに、祖母を訪問するときには、本当に毎回毎回空回りします。
やはりパストラルケアは第三者が行うのが良いように思います。孫の私がパストラルケアを祖母に対してすることは、たぶん無理なんだろうなあと思いました。
by martha2nd
| 2014-05-27 09:56
| 実家関連(熊本、福島)